日本人の手で「蒸気機関車」を! 明治~昭和を駆け抜けた、京都の「230形」をご存じか

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1900年代初め、日本で2番目の民間鉄道車両製作会社によって「230形蒸気機関車」が造られた。その歴史を紹介する。

国産初は現存せず

230形233号機(画像:守山進)
230形233号機(画像:守山進)

 1872(明治5)年10月14日(旧暦9月12日)、新橋~横浜間に、わが国初の鉄道路線が開通した。ただし、ここで使われたのは機関車や客車は言うに及ばず、レールその他の設備や切符に至るまで、全てイギリスから輸入したものであり、建設方法や運用についても日本人が関わった部分はほぼ皆無であり、何から何までいわゆるお雇い外国人技術者の助けを借りて実現したものだった。

 これ以降、日本の鉄道技術と運用システムは、主としてイギリス、一部にアメリカの技術をその都度輸入し適宜導入することで、明治という新しい時代を駆け抜けてゆくこととなった。そして明治になっておよそ30年が過ぎた頃、この間に積み重ねた素材および加工に関する技術が実を結び、ようやくわが国でも蒸気機関車の国産化のめどが立つに至った。

 わが国で蒸気機関車が初めて日本人の手で製造されたのは、1900年のことと言われている。舞台となったのは愛知県熱田にあった日本初の民間鉄道車両製作会社であった鉄道車両製造所。同社が製作した徳島鉄道の「丙一形5」こそが、まさにその蒸気機関車であり、後に鉄道国有化政策と共に官設鉄道所属となってから180形とその名称が改められた。

 ただし、この機種については製造されたのが1両のみである上に、該当機が現存しておらず、さらに会社が1904年という早い時期に倒産し解散してしまったため、正確な製造記録は全て散逸。実機の写真や設計略図すら一枚も残っていない。

 構造は軸配置2-Bの2気筒タンク機関車とだけ伝えられているものの、その性能もまたはっきりと分かってはいない。今となってはまさしく幻の機関車であり、国内で製造はされたものの、使用した車台枠、ボイラ、シリンダーといった主要部品は全てイギリスからの輸入品だったとも言われている。

 一方、1902年に日本で2番目の民間鉄道車両製作会社だった大阪の汽車製造合資会社によって製作されたのが、今回紹介する230形蒸気機関車である。230形蒸気機関車は、当時の官設鉄道(後の日本国有鉄道)が優秀機として導入していたイギリスのナスミス・ウィルソン社製のA8形蒸気機関車の構造をコピーする形で実現した。