日本人の手で「蒸気機関車」を! 明治~昭和を駆け抜けた、京都の「230形」をご存じか

キーワード :
, ,
1900年代初め、日本で2番目の民間鉄道車両製作会社によって「230形蒸気機関車」が造られた。その歴史を紹介する。

日本人に合わせた操作系

230形233号機(画像:守山進)
230形233号機(画像:守山進)

 230形蒸気機関車は、軸配置1-B-1のタンク機関車。シリンダーはボア×ストローク:14インチ×20インチの単動であり、当時としては標準的な大きさとパワーを持っていた機関車だった。汽車製造はこのモデルを1910(明治43)年にかけて41両を生産、官設鉄道に38両、北海道鉄道に2両、北越鉄道に1両を納めた。

 いずれもイギリス流の信頼性が高く熟成されたメカニズムを継承しつつ、操作系を日本人の体格に合わせていたのが特徴であり、大正期を経て昭和に入ってからも扱いやすい蒸気機関車として、長く現場で使用された名機だった。

 車両全体の印象はベースとなったA8形に酷似していたが、全体的には動輪径や機関部全体がやや小ぶりだったと言われている。製造された41両はいずれも関西中国地区の機関区を中心に配備され、昭和の初め頃まで本線用として活躍した一方、大正時代の後半から旅客用の8620形や貨物用の9600形といった大型の新型機が登場するに従って、支線や構内での入れ替え用などへと運用現場は変わっていった。同時に民間鉄道会社への譲渡も進み、昭和30年代に入る頃には、国鉄に在籍するのは数両になったと言われている。

 今回写真で紹介している233号機は、初号機から4両目という初期生産型であり、掲載している写真を撮影した時点では、大阪市にあった交通科学博物館(2014年に閉館)で保存展示されていたが、現在は京都鉄道博物館へと保存展示場所が変わっている。

 ちなみに233号機の最初の配属区だったのは山陰本線米子区であり、その後は北陸本線新舞鶴区、東海道本線浜松区と転籍を重ね、官設鉄道から日本国有鉄道と共に長年にわたってその車歴を重ねた。最終配属区は兵庫県の国鉄高砂工場であり、構内入れ替え用機関車として1959(昭和34)年ごろまで現役を務めた長命機だった。

全てのコメントを見る