鉄道会社は現代人の「豊かさ」「幸せ」に根深く関与している 我々はなぜそれに気付かないのか

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幸せや、豊かさ。私たちの生活の満足度を決めるこうした価値観は、いかにして形作られてきたのか。そこには鉄道会社の存在が、切っても切り離せないものとして横たわっている。

鉄道会社が「郊外戸建て」を売った理由

 阪急の前身の箕面有馬(みのおありま)電気軌道(1910年開業)は梅田と箕面・宝塚という郊外の小さな町を結ぶ電車だったので、都市同士を結ぶ阪神や京阪と比べ経営が不利ではないかと投資家から見られた。

 そこで小林はパンフレットに「外国の電鉄会社が盛んにやって居る」沿線の宅地開発を副業でやるので、経営は大丈夫だし乗客も増えると宣伝したのである。

 住宅を沿線で売り出すというのは、小林当人が「外国の電鉄会社」がやっていることと書いている通り、アメリカの電鉄――都市間や郊外に路線を延ばしていたインターアーバン interurban を参考にした商法と思われ、小林独自のアイディアというわけでは必ずしもないだろう。

 日本の電車はそもそもアメリカからの輸入品(木造の車体は国産したが、電気機械や台車などは輸入だった)だったし、経営手法も輸入品だったことは当然といえば当然である。

 小林の電鉄経営の多角化といえば、有名な宝塚の娯楽事業も早くから始まっている。

 最初は箕面で動物園を経営したがこれはすぐに断念し、宝塚で鉱泉を沸かした温泉施設を作って、余興に少女歌劇を始める。

 娯楽については他の電鉄、沿線に海がある阪神・南海・関東の京浜(現・京急電鉄)などが、早くから海水浴場を開いている。このような観光・娯楽事業を電鉄が兼営するのもアメリカに先例があり、少女歌劇というところには小林の文学趣味がのぞいているものの、概してまだアメリカモデルの延長線上だったといえる。

 しかしこれが、次第に小林独自の、さらには他の電鉄にも伝わって日本独自と言えそうな多角化した電鉄業へと進化していく。いや、進化せざるを得なかった。

 なぜならば、お手本のアメリカでは1908年にT型フォードが発売され、自動車の大量生産によるモータリゼーションが実現して、1920年代以降インターアーバンは急速に廃止されていってしまうのである。お手本を失う日本の電鉄は、独自の経営モデルを作りだす必要があった。

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