鉄道会社は現代人の「豊かさ」「幸せ」に根深く関与している 我々はなぜそれに気付かないのか

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幸せや、豊かさ。私たちの生活の満足度を決めるこうした価値観は、いかにして形作られてきたのか。そこには鉄道会社の存在が、切っても切り離せないものとして横たわっている。

阪急電鉄創業者が日本で行ったこと

かつての日本の家族のイメージ(画像:写真AC)
かつての日本の家族のイメージ(画像:写真AC)

 小林は直接フランスの手法を学んだわけではないが、産業革命が達成されて新たな社会階層が登場した社会の変化に併せて、「幸せ」をパッケージングした商法を展開し、日本の都市構造すら形成したといえるのである。

 周知のように、小林は阪急で電車を中心にさまざまな多角経営を展開した。バスのような同じ交通事業はもちろん、名高い宝塚歌劇のような娯楽事業(プロ野球球団は手放してしまったが)や、住宅分譲を中心とした不動産事業、そしてターミナルデパートをはじめとする流通事業はよく知られている。

 戦前はこれに加えて、沿線への電気の供給事業が大きなものだった。この多角的な商法は他の大手私鉄にも真似され、日本の都市形成に大きな影響を及ぼすことになるのである。

 さて、ブーシコーが「幸せ」を売りつけたのはブルジョワジーだった。小林の多角的商法が狙った階層はどのような人々だろうか。これは、都市の会社や役所に勤めるサラリーマン層であった。今の「普通の人」である。しかつめらしく言えば、「新中間層」ということになる。

 新があれば旧があるわけで、旧中間層とは都市の自営業者や農村の自作農など、自分の財産を一定持っているが、人を雇って大規模に経営する大商人や地主ほどではない層である。これに対し、日本では1920年代に層として社会の認知を得たのが、新中間層であった。

 今でこそ「普通の人」であるサラリーマンだが、当時は新興の階層であり、当時の多数派であった農民などからは一種あこがれをもって見られながらも、社会的体面にふさわしい暮らしがどのようなものか模索していた人々であった。

 まず小林が新中間層をあてこんで売り出したものは、郊外の一戸建て住宅であった。

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