湘南モノレールは「サーフィン嫌い」も魅了する! 過去には「乗って大丈夫か」と揶揄もICカード導入で近代化、その軌跡を振り返る
湘南モノレール沿線が盛り上がりを見せている。いったいなぜか。その理由について解説する。
高級住宅地「西鎌倉」の誕生

湘南モノレールの開業は1970(昭和45)年で、観光路線としての需要と同時に増加した沿線人口に対応するために建設された、都心への短絡路線である。湘南エリアの風景は開業で、ガラリと変わった。
例えば西鎌倉だ。同エリアは高級住宅地のイメージが強く、都心に暮らす人も一目置いている。この西鎌倉も湘南モノレールによって発展したのだ。西鎌倉は元々、津村・腰越の一部で、赤羽などの名前で呼ばれていた。
湘南モノレール開業に先立ち、西武不動産がこのエリアの丘陵地を住宅地として開発、1965年に分譲地として売り出した。このときに住宅地の名称を「西鎌倉」とした。ところが、分譲開始当初は先行きが危ぶまれた。
なぜなら、1区画100坪ほどを確保、街路も整備されていたが駅まで遠かったからだ。住所は鎌倉市だったものの、鎌倉の中心街も遠く、大船駅か藤沢駅とつながるバスしか交通手段がなかった。しかし、1970年に湘南モノレールが開業して状況は激変した。住宅地の東西には西鎌倉駅と片瀬山駅が開業し、スムーズに大船駅まで移動できるようになったのである。
こうして、湘南モノレールは沿線の住宅地開発を促進する交通機関となったが、そのまま右肩あがりとはいかなかった。住宅地の“必然”として、世帯の高齢化とともに人口減が起こったのだ。1960年代以降、郊外の丘陵地に建設された住宅地と同じように、この沿線でも坂が多いことが災いし、住宅需要が激減したのだった。西鎌倉でも、2010年代に入ると坪あたりの地価が1980年代の半分以下まで下落した。
沿線の変化による利用者減を受けて、2015年には、株式の9割を所有していた三菱重工業、三菱電機、三菱商事が経営から撤退。企業再生会社「経営共創基盤」グループへと移行した。