鶴見線「海芝浦駅」はいつから“都会の秘境駅”となったのか? 当時の資料から読み解く
90年代初頭には注目されていた

最初に海芝浦駅の魅力を紹介したのは、紀行作家の宮脇俊三である。宮脇は1978(昭和53)年に出版した、国鉄全線完乗の旅を記した処女作『時刻表2万km』で海芝浦駅に触れて以降、幾度もその魅力に触れている。
「首都圏だと鶴見線に乗られるといいですよ。本線も面白いけど、大川支線には大正11年にできた「12T」という列車が走ってます。周囲は工場と運河ばかりですから、日曜日はまるでゴーストタウンです。終点の海芝浦駅から運河を眺めていると、オランダのロッテルダムに言ったような気分になれます。旅費は東京から往復で1000円ぐらいですから、2、3時間と1000円でオランダまで行ってこられるわけです」(『産経新聞』1992年9月25日付朝刊)
宮脇の筆をとおして、海芝浦駅は鉄道ファンの間で認知されるようになった。そして1990年代初頭には、デートスポットとして既に利用されるようになっていた。
1992(平成4)年11月に開催された「鶴見線フェスティバル」を紹介した『朝日新聞』1992年10月29日付の記事には、
「鶴見線は、チョコレート色の旧型電車や、東京湾にせり出したような海芝浦駅など、首都圏にありながら<ちょっとした旅情>を味わえる線として、ここ数年鉄道ファンだけでなく、若いカップルなどが、わざわざ乗りに来るようになった」
として書かれている。旧型電車に揺られ、工場が林立するエリアを抜けてたどり着く駅がデートスポットになりえた背景には、バブル景気で生まれた新たな感性がある。
バブル景気の時代、倉庫群の広がっていた東京湾岸エリアに突如、ディスコなどが誕生し、にぎわい始めた。このにぎわいを背景にして、海や川に近いエリアに格好良さを感じる感性が生まれた。
1986(昭和61)年に放送されたテレビドラマ『男女7人夏物語』で、明石家さんまが演じる今井良介の住まいが清洲橋に設定されたのも、そうした事象の一例と言えだろう。とにかく、当時は単なる団地や工場群に「大都会」を感じたわけである。
この時代の雑誌を眺めて見ると、さまざまな事例が紹介されている。『PENTHOUSE』1988年11月号では、西葛西の団地群を「ハドソン川に浮かぶマンハッタンのミニ版」と記している。現代的な視点からは奇異に感じるが、これが当時の感性なのだ。その延長線上にあり、視界いっぱいに海(正確には運河)が広がる海芝浦駅は、ほかにはない大都会を感じるスポットとして注目されたのだろう。