「ドル箱特急」を失った北越急行 損失は毎年数億も、復権に向けた投資家デビューと比類なき先見性

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「ドル箱」の特急はくたかを失った北越急行。しかし同社は復権に向けて、着実に前へ進んでいる。

「営業係数」の優れた北越急行

北越急行の車両(画像:写真AC)
北越急行の車両(画像:写真AC)

 新潟県南魚沼市――。魚沼産コシヒカリに代表される米どころとして名高いこの地に、日本の鉄道史に伝説を残した企業が存在する。新幹線ではなく、在来線特急として日本初の160km/hの営業運転を行い、路線開業の1997(平成9)年からの数年を除き、北陸新幹線開業前までは黒字決算を出し続けた。

 それが、第三セクターの鉄道会社・北越急行だ。第三セクターとは、国や地方公共団体と民間企業が出資して設立・運営される、いわゆる半官半民の企業であり、北越急行も新潟県や沿線の自治体と地元の銀行が主要株主となっている。そんな北越急行が運営する鉄道路線は、六日町~犀潟(さいがた)間を結ぶ、ほくほく線の1路線のみだ。

 ほくほく線は、前出のように160km/hの営業運転ができる高規格路線だが、沿線地域の大部分はいわゆる人口過疎地域。高規格路線であることを除けば、どこにでもありそうな単線のローカル線だ。いかに高規格路線であっても、そんな路線が“赤字知らず”の路線になるためには、条件が悪すぎた。実は、ほくほく線がそのような路線となったのは、関東と北陸を結ぶ大動脈に組み込まれたからにほかならない。

 特急はくたか。かつて上野駅~金沢駅間を長岡駅経由で結び、1982(昭和57)年の上越新幹線開業とともに姿を消した特急列車だ。

 その名を冠した特急列車が、ほくほく線開業とともに1997年に復活。上越新幹線と連携しながら関東と北陸を結ぶ大動脈を担う列車として、越後湯沢~金沢間をほくほく線経由で運行を開始した。新生特急はくたかの運行開始から17年後の2014年には、定期列車だけで1日13往復となり、ほくほく線は多額の収益を上げていた。

 こうした背景により、運営元の北越急行は躍進。2014年の営業係数(100円の収入を得るのに要する費用)は73.2という、地方の第三セクター鉄道とは思えない数字を出していた。同時期で比較すると、

・東葉高速鉄道:65.2
・北総鉄道:66.1

といった首都圏のベッドタウンを貫く第三セクター鉄道に次ぐ、日本の第三セクター鉄道の中では第3位の数値であった。このように、北越急行は運行スタイルも経営スタイルも優れていた。

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