日本の「記憶と祈りの風景」が生む究極の安心価値【連載】平和ボケ観光論(10)

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「平和ボケ」こそ、世界が渇望する最強の観光資源だ。訪日客約4270万人、消費額約9.5兆円を見込む今、戦争遺跡を巡るダークツーリズムが熱を帯びている。過去の惨劇と祈りが紡いだ世界屈指の安全インフラは、なぜ旅人に究極の癒やしをもたらすのか。新たな高付加価値市場の正体に迫る。

日常の無防備さが生む観光価値

「平和ボケ観光」のイメージ。
「平和ボケ観光」のイメージ。

「平和ボケ」という言葉は、これまで危機感の欠如や無防備さを戒める自虐的な表現として使われてきた。しかし、人の移動を前提とする観光の視点で捉え直すと、その意味は大きく反転する。世界各地で移動に緊張と警戒がともなう現代において、防衛本能をほぼ解除した状態で滞在できる環境は、他国がどれほど投資を重ねても容易に再現できない希少な資産である。本連載「平和ボケ観光論」では、この環境をインバウンドの心身を回復させる世界屈指の安全インフラとして再定義する。自嘲の対象とされてきた「平和ボケ」という空気が、いかにして世界が渇望する「最高の贅沢」へと転じるのか。各地での体験を通じ、その価値を多角的に掘り下げていく(本稿で連載最終回)。

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 この連載「平和ボケ」観光論では一貫して「平和ボケ」 = 観光資源と主張してきた。とはいえ、そんな日本にも襟を正すべき場所がある。先の戦争の記録を今に伝える、広島や長崎をはじめとする数々の戦争遺跡だ。

男は敷居を跨げば七人の敵ありということわざがある。一歩外に出れば多くの困難や対立が待ち受けており、屋外ではそれなりの緊張感を持って行動すべきだという教えだ。海外の多くの地域では移動や滞在そのものに一定の精神的緊張がともなうため、この感覚は世界共通の防衛本能といっていい。

とはいえ、実際の危険が少なければ警戒感も薄れてくる。

 筆者(仲田しんじ、研究論文ウォッチャー)は先日、路上で“歩きスマホ”をしていた人が電柱にぶつかっている光景を目撃した。数か月前にも別の場所で同じような出来事を見かけた。笑うに笑えない話だが、今や珍しい光景ではなくなっている。多くの日本人が肩の力を抜いて過ごしているとき、かなりの確率で「平和ボケ」の状態にあることがうかがえる。

 落とした財布が高確率で交番に届く。カフェで荷物を置きっぱなしにして席を離れても問題ない。女性が夜道をひとりでジョギングしている。日本人にとっては当たり前の日常も、海外からの旅行者にはやや奇異に映るのももっともな話だ。

 主観的には気を抜いて過ごしているつもりはなくても、緊張を強いられない環境が「平和ボケ」の土壌を作っている。この日常の無防備さこそ、現代の観光産業において旅行者の精神的な負担を解消する強力な価値へと結びつく。周囲を常に警戒するコストが不要な環境が、滞在の快適性を高めるアメニティとして機能しているからだ。

 交番の警察官や街を行き交う市民、店舗のスタッフといった社会の構成員すべてが、無意識のうちに旅行者の安心感を支えている。何気ない日常の風景が、そのまま観光経済の基盤へと広がっているわけだ。

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