「大阪のサンマはまずい」――かつて“下品”と忌まれた下魚、1377両の車両が変えた“食の常識”とは
大阪では伝統的に、サンマはまずい下魚とされていた。大阪においてサンマが秋の代表的な味覚となった背景には、昭和初期の鉄道輸送の発展があった。また、大阪名物安いてっちり(フグのちり鍋)が生まれた背景にも、鉄道輸送が関係していた。
東京では人気、大阪では不評だったサンマ

秋を代表する味覚、脂ののったサンマの塩焼き。江戸・東京では江戸時代から人気だったが、大阪では昭和時代の初めまで、サンマはまずい下魚とされていた。
江戸の風俗を描いたエッセイ集『梅翁随筆』によると、サンマは安永年間(1772年~)から庶民のあいだで人気となり、寛政年間(1789年~)には「中人」(中流階級)にも広がっていったという。
一方、大坂在住の著者による1849年の『年中番菜録』によると、サンマは江戸において賞翫=もてはやされているが、大坂では「はなはだ下品」と不評であった。
このサンマへの評価の東西の違いは、昭和時代の初めまで存在していた。東京から大阪に移り住んだ作家・正岡容は、1928(昭和3)年のエッセイ「午後三時的感想」(『食道楽 昭和3年11月号』所収)において、大阪のサンマは“うまくない”としている。そして、
“秋刀魚のころ、ことしは、ぜひ、一ぺん、たべに上京したいとおもふ”
サンマを食べるために、秋には東京に遠征したいと述べているのだ。