「大阪のサンマはまずい」――かつて“下品”と忌まれた下魚、1377両の車両が変えた“食の常識”とは

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大阪では伝統的に、サンマはまずい下魚とされていた。大阪においてサンマが秋の代表的な味覚となった背景には、昭和初期の鉄道輸送の発展があった。また、大阪名物安いてっちり(フグのちり鍋)が生まれた背景にも、鉄道輸送が関係していた。

昭和10年代に人気となった大阪のサンマ

明治時代の冷蔵車。甲良伝二郎『客貨車名称鑑』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
明治時代の冷蔵車。甲良伝二郎『客貨車名称鑑』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 昭和10年代になると、大阪でもサンマが人気となっていく。

『食道楽 昭和14年1月号』のエッセイ「思ひ出の味」によると、前年9月27日のラジオ放送において、大阪にサンマが初入荷したとのニュースが流れた。

 つまり、ニュースにとりあげられるほどに、大阪の人々がサンマの入荷を心待ちにするようになったのだ。

“二十四日塩釜港に初入荷のものが二十七日朝大阪中央市場に到着した”

 ラジオニュースによると、入荷したサンマは宮城県で水揚げされたものであった。東北沖で漁獲された脂ののったサンマが、大阪に輸送されるようになったのだ。

 明治時代終わり頃から、鉄道に冷蔵車が登場する。断熱材で覆った車両に氷柱を格納し冷やすもので、1934(昭和9)年には1377両もの冷蔵車が稼働していた(村瀬敬子『冷たいおいしさの誕生』)。

 また、各漁港に製氷施設が整備されるようになり、水揚げされた魚は氷とともに木製のトロ箱あるいは樽に詰め、輸送されるようになった。

 この鉄道による冷蔵輸送により、脂ののったサンマが、遠方から大阪にもたらされるようになったのである。

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