バイドゥの自動運転タクシー最大500台停止、「技術未熟」論は的外れか?――背景に制度・運用要因
最大500台が一斉停止し都市機能を揺るがした武漢の自動運転タクシー。だが本質は技術未熟ではなく、実地で不具合を吸収し進化を加速する開発思想にある。1万km走行試験や無人化を背景に、学習速度と社会の受容が競争力を分ける。
筆者への反対意見

開発を急ぐあまり、安全を後回しにする姿勢には、今や厳しい視線が注がれている。500台もの車両が高速道路で一斉に沈黙した事態は、プログラムの書き換えミスといった言葉で片づけられるものではない。人の命を情報の糧として危険にさらす行為であり、社会の土台を揺るがす危うさをはらんでいる。
武漢市は2024年9月に発布した規定で、「商用化試験中の事故責任は100%企業側(試験主体)にある」と明文化した。しかし、今回の事態は個別の事故の範疇を超え、都市機能そのものを人質に取ったに等しい。法的責任を企業に負わせるだけでは、市民の安全は担保できないことが証明された。
車両が中央のシステムに頼り切っている現状は、運営企業や政府が都市の動きを意のままに止められることを物語る。移動の主導権を外部に委ねるに等しく、もし外からの攻撃を受ければ、国の守りに大きな穴を開けかねない。物流という社会の血流が外の指図ひとつで止まってしまう。私たちは、みずからの首を絞める手段を自ら抱え込んでいるのではないか。
1時間以上も車内に閉じ込められるという体験は、移動の自由がシステムによって縛られることへの、根源的な不安を人々に植え付ける。一度失われた信頼を埋めるには膨大な手間と時間がかかり、それが市場全体の重荷となるのは避けられないだろう。
情報収集という大義名分の下で、移動の記録や車内外の映像が際限なく吸い上げられている現状は、個人の権利という観点からも重い課題を抱えている。混乱が生む経済的な損失が、自動運転の恩恵を打ち消してしまわないか。市民の安全や国の自立を企業の実験場に供することへの反発は、社会として至極まっとうな反応といえるだろう。