バイドゥの自動運転タクシー最大500台停止、「技術未熟」論は的外れか?――背景に制度・運用要因
最大500台が一斉停止し都市機能を揺るがした武漢の自動運転タクシー。だが本質は技術未熟ではなく、実地で不具合を吸収し進化を加速する開発思想にある。1万km走行試験や無人化を背景に、学習速度と社会の受容が競争力を分ける。
筆者の意見

武漢での一件をもって、中国の技術が未熟だと断じるのは危うい見方だ。こうした見立ては日本のネット上に多く見られるが、本質を捉えていない。彼らの強みは、日本では公道投入すらためらわれる段階の車両をいち早く実地に出し、不具合を
「生きた情報」
として吸い上げる速度にある。今回の500台規模の停止も、欠陥というより、システムの限界を見極めるための実地データとして蓄積されていく。国の方針に沿う限り、個別のつまずきは許容範囲として飲み込む。渋滞や事故といった社会的な負担を、技術を前進させるための“高い授業料”として割り切る土壌がある。
対する日本は、風向きが悪くなると安全性の不足を理由に掲げ、現場から身を引く傾向が強い。国内で行われている自動運転バスの試行でも、遠隔での監視や操作など、中央に頼る構成はすでに組み込まれている。技術的な前提に大きな隔たりはないはずなのに、失敗を許さない空気が、実用の広がりを自ら縛っている。
結局のところ、技術の進歩という果実を得るために、私たちは
「どこまでの混乱を社会の負担として引き受けられるのか」
米国や中国は、あえて危うさを抱え込むことで先へ進んでいる。リスクを削ぎ落とすことだけに腐心していては、失敗を糧にする者たちに追いつくのは容易ではない。