初詣は「日本の伝統」じゃない! 実は、鉄道会社がつくり上げたものだった

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初詣は鉄道会社がつくり上げた「伝統」だった。その背景には一体どのような思惑があったのか。

初詣が定着した「ふたつの要因」

川崎大師と東京との位置関係(画像:(C)Google)
川崎大師と東京との位置関係(画像:(C)Google)

 この状況を変えたのが鉄道の開業である。1872(明治5)年に日本で初めて開業した鉄道の途中に川崎停車場が設けられたことで、川崎停車場から川崎大師まで数kmの距離があったとはいえ、短時間で川崎大師に訪れることが可能になった。

 川崎停車場ができてしばらくすると、川崎大師の縁日には臨時列車も運行されるようになった。寺社仏閣への参詣は当時まだ珍しかった鉄道を利用するレジャーとして都市部の住民の間に広がっていったのである。

 実は初詣という言葉自体も、当初は川崎大師と結びつけて使われていた。著者によると大手の新聞に初詣という言葉が初めて登場したのは、1885年の『東京日日新聞』1月2日の、「川崎大師へ初詣の人も多かるべきなれば」、急行列車が臨時に停車したという記事である。では、なぜ縁日ではなく正月三が日を中心とした初詣が定着したのか?

 著者は

・日曜週休制
・年頭三が日の休業の慣習

が広がったことをその要因としてあげている。

 21日の縁日に参詣しようとしても、21日が日曜でなければ勤め人には難しい。そこで毎年曜日に関係なく参詣できる元日に参詣客が集まるようになったのである。

 ただし、江戸時代の元日の参詣は「恵方詣」という縁起の良い方角の寺社仏閣にお参りに行くものが一般的であった。現在は「恵方巻き」で知られている恵方だが、これは5年周期で縁起の良い方角が回ってくるというものである。ちなみに、巳午(みうま)の方角(南南東)だけは5年に2度回ってくる。

 川崎大師はもともと江戸からおおよそ巳午の方角にあたっており、恵方詣の場所としても有名であった。

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