初詣は「日本の伝統」じゃない! 実は、鉄道会社がつくり上げたものだった

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初詣は鉄道会社がつくり上げた「伝統」だった。その背景には一体どのような思惑があったのか。

正月の定番でも何でもなかった

初詣のイメージ(画像:写真AC)
初詣のイメージ(画像:写真AC)

 新型コロナウイルスの流行に伴うリモートワークの広がりによって、郊外から都市部へと通う通勤客が減り、鉄道各社の収益にも大きな影響を与えている。新型コロナウイルスの流行が収まったとしても、リモートワークという働き方は一定程度は残っていくと予想され、鉄道各社は通勤以外の需要を開拓する必要が出てくるかもしれない。

 こうした状況の中で、今回紹介するのが平山昇『鉄道が変えた社寺参詣』(交通新聞社)だ。サブタイトルには

「初詣は鉄道とともに生まれ育った」

とあり、「初詣」という「伝統」は鉄道会社がつくり上げたものだという内容になっている。

 初詣というと正月の定番の行事であり、鉄道ができるずっと前から続いていたようにも思えるが、例えば、俳句の季語として初詣が立てられたのは1908(明治41)年だという。

 もちろん、江戸時代には神社仏閣に参拝しなかったというわけではなく、元日には氏神へ参詣や恵方詣が行われていた。現在、多くの初詣客を集めている川崎大師では、毎月21日が縁日であり、正月の21日は「初大師」として多くの人々を集めていた。ところが、現在の初詣は神社仏閣であればどこでもよいし、期日も正月三が日が中心だが、別に4日以降でもよい形になっている。

 初詣と鉄道の関係は初詣の人出ランキングからもうかがえる。

 1位は明治神宮が定番だが、その後に続くのは成田山新勝寺や川崎大師といった東京の郊外の寺であり、同じように京都の伏見稲荷、大阪の住吉大社、愛知の熱田神宮など、中心部から離れた場所にある神社がランクインしている。参詣客の多くは鉄道を利用しているのである。

 このうち、川崎大師(金剛山金乗院平間寺)は、1796(寛政8)年と1813(文化10)年の2度にわたる将軍家斉(いえなり)の厄払いのための参詣をきっかけに、厄よけ大師として発展していった。

 しかし、江戸・東京から川崎まで徒歩で行くのは大変であり、時間と体力に余裕のある者でなければ、なかなか行くことはできなかった。

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