「東京湾」という名前が使われ始めたのは、なんと「昭和40年代」からだった!

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東京湾は、面積約922平方キロ、湾奥平均水深15mの内海で、首都圏4000万人の物流と都市開発を支える戦略的空間だ。その名称と港湾整備の歴史は、江戸期から国際貿易まで、経済の基盤と直結している。

走水が示す湾の歴史

横浜港(画像:写真AC)
横浜港(画像:写真AC)

 現在の東京湾が初めて登場する文献は、『古事記』と『日本書紀』である。

 ここには景行天皇40年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征を命じられ、船で上総国(現・千葉県中部)に渡ろうとした記述がある。しかし神の起こした嵐によって船は沈没寸前となった。妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)は海に身を投じ、嵐を鎮めたと伝えられている。

『日本書紀』ではこの出来事を

「故二時人其ノ海ヲ號ケテ馳水ト曰ク(そこで人々はその海を『馳水(はしりみず)』と名付けた)」

と記している。『古事記』でも同様の記述があり、この海域は「走水」と呼ばれていたとされる。湾全体を指すのか、一部の地域を指すのかは明確でないが、東京湾の名称が文献に登場する最古の例といえる。

 神奈川県横須賀市にある走水神社も、この故事に由来すると伝わる。創建の詳細は不明だが、日本武尊が立ち寄った際に自らの冠を村人に与え、彼らがこれを祭ったことが始まりとされている。

 この伝承は、東京湾沿岸が古くから交通や航路の要所であったことを示す貴重な証左である。湾や海路は当時の地域経済や物流にも深く関わり、江戸期以降の港湾整備や海上交通の基盤にもつながっている。

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