東京・国分寺の謎! 恋ヶ窪駅の「恋」は何を意味しているのか
全国に15か所ある「恋」の字を含む地名のうち、東京・国分寺市の「恋ヶ窪」は歴史的ロマンと複数の起源説が交錯する地域だ。源平時代の名将畠山重忠にまつわる悲恋伝説や、かつての宿場町としての賑わいが、現代に伝わるこの地名の背景を豊かに彩っている。
恋ヶ窪、地名の由来

全国には「恋」の字を含む地名が15か所、駅名が四つある。そのうち東京都には地名と駅名がそれぞれ1か所ずつ存在する。多摩地域中部の国分寺市にある「恋ヶ窪」だ。地名は「東恋ヶ窪」と「西恋ヶ窪」。駅名は西武国分寺線の「恋ヶ窪駅」である。
「恋」の字が含まれると、どこかロマンチックな印象を受ける。しかし、その由来が本当に恋愛に関係しているかは不明である。実際には複数の説があり、どれも有力だ。
一説は、「峡が窪(かいがくぼ)」という地名に由来する。これは「狭いくぼ地」を意味する地形の名称で、次第に「鯉ヶ窪」となり、さらに当て字で「恋」の字が使われるようになったとされる。
別の説では、湧き水のあるくぼ地で鯉を飼っていた。鯉料理が旅人の間で評判となり、「鯉ヶ窪」と呼ばれるようになったという。さらに、武蔵国の役所(国府)に近いくぼ地だったため、「国府ヶ窪」と呼ばれていたのがなまったという説も存在する。
また、かつて宿場町としてにぎわい、遊女も多く集まる場所だったことから、最初から「恋ヶ窪」と名付けられたという説もある。なお、武蔵国府の遺跡は府中市宮町2丁目で見つかっているため、「国府ヶ窪」説は距離的にやや無理があると考えられる。ただし、その他の説はいずれも有力だ。