東京・国分寺の謎! 恋ヶ窪駅の「恋」は何を意味しているのか

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全国に15か所ある「恋」の字を含む地名のうち、東京・国分寺市の「恋ヶ窪」は歴史的ロマンと複数の起源説が交錯する地域だ。源平時代の名将畠山重忠にまつわる悲恋伝説や、かつての宿場町としての賑わいが、現代に伝わるこの地名の背景を豊かに彩っている。

修験僧が記した540年前の恋歌碑

恋ヶ窪駅の位置(画像:OpenStreetMap)
恋ヶ窪駅の位置(画像:OpenStreetMap)

 また、国分寺市西恋ヶ窪にある熊野神社には、修験僧・道興准后(どうこうじゅごう)が1486(文明18)年に訪れた際に詠んだ歌の碑がある。

「朽ち果てぬ名のみ残れる恋が窪 今はた問ふもちぎりならずや」

 道興准后は天皇を補佐する関白・近衛房嗣の子で、京都の聖護院(天台宗本山派修験道の総本山)の門跡であった。この旅の目的は末寺の掌握であり、京都から日本海側を経て越後、武蔵国、奥州を巡っている。

 恋ヶ窪には長旅の途中で立ち寄ったが、当時は既にかつての賑わいを失い、武蔵野の自然のなかに静かに埋もれていたことが歌の内容から読み取れる。

 こうして恋ヶ窪は、古くから悲恋の伝説が語り継がれてきた。鯉料理が供され、遊女もいた賑やかな宿場「鯉ヶ窪」が、やがて伝説とともに「恋ヶ窪」と呼ばれるようになったと考えられる。

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