東京・国分寺の謎! 恋ヶ窪駅の「恋」は何を意味しているのか
全国に15か所ある「恋」の字を含む地名のうち、東京・国分寺市の「恋ヶ窪」は歴史的ロマンと複数の起源説が交錯する地域だ。源平時代の名将畠山重忠にまつわる悲恋伝説や、かつての宿場町としての賑わいが、現代に伝わるこの地名の背景を豊かに彩っている。
一葉松が語る中世の鎮魂史

こうした多様な説のなかで、地元に伝わる伝説が「恋ヶ窪」という名前の由来を裏付けている。その伝説は、源平合戦(1180~1185年)の頃に活躍した武士、畠山重忠にまつわるものだ。
畠山重忠は武蔵国男衾郡畠山郷(現在の埼玉県深谷市畠山)を治め、「坂東武士の鑑」と称される清廉潔白な人物として知られていた。父の代から源氏に仕えていたが、一時は平家に従っていた。源頼朝が挙兵すると、重忠は平家から離反し、先祖が源義家から授かったとされる白旗を携えて頼朝のもとへ帰参。頼朝はこれを大いに喜んだという。
平家討伐のため西国へ向かう途中、恋ヶ窪に「夙妻太夫(あさづまだゆう)」という恋人がいた。太夫は重忠の無事を祈り続けていたが、彼に横恋慕する男から「重忠は戦死した」と偽りを告げられる。深く悲しんだ太夫は、西恋ヶ窪の「姿見の池」に身を投げた。村人たちは彼女を哀れみ、遺体を葬った後、池のそばに松を植えたが、その松は一葉だけを残して枯れてしまったという。
太夫の死を知った重忠は、供養のため「無量山道成寺」という寺を建立し、阿弥陀如来立像を安置、さらに金仏を造らせて彼女を弔った。道成寺は現存しないが、金仏は府中市本町の善明寺に伝わっている。国分寺市西恋ヶ窪の東福寺境内には、一葉松とその由来を記した碑が立ち、現在の松は1983(昭和58)年に植えられた3代目である。