「タダだから乗っている」 産交バス運転士が“障害者”に暴言! 問われる公共交通の存在、問題の本質は何か?
「ただだから」の一言が突きつけた、移動の価値と地域の未来。65歳以上が3割を超える地方都市で起きた公共交通トラブルが、制度と現場、福祉と経済の断絶をあぶり出す。今こそ問われる、移動インフラの社会的意義。
無料施策の誤解

「ただやけん、暇やけん、乗られてですたい(乗れるのだ)」
問題のドライバーは、無料の乗車を
「暇だから」
「目的もなく」
と解釈し、乗客を叱責した。ドライバーは、循環バスを1周した女性を見て、目的もなく乗車したと誤って判断したという(同紙)。
だが、それが正確な判断だったかは疑問だ。そもそも、乗客の「目的」や「必要性」をサービス提供者が審査する立場にはない。ましてや公共交通においては、移動の目的は多様であり、表面的に読み取れるものではない。
ここに、サービスの本質を履き違える危うさがある。バスドライバーの仕事は、目的地まで人を運ぶこと。それが有料か無料かにかかわらず、同じ水準の対応が求められる。そうでなければ、社会的コストを投じている意義が損なわれる。