「撮り鉄は壊滅しても困らない」 ひろゆき氏発言でネット賛否両論! 本当に迷惑な存在? 経済効果、文化貢献 排除は短絡的? 鉄道趣味を再考する
撮り鉄の経済的影響と貢献

さて、ひろゆき氏の今回の発言の核心は、「撮り鉄は迷惑行為をするから不要だ」という主張だ。一部の撮り鉄が駅員に暴言を吐いたり、危険行為をしたりする事例があるからだ。しかし、この論理にはふたつの疑問がある。ひとつめは、「一部の迷惑行為 = 全体の否定」につながるのかという点だ。これは、
「自動車運転手の一部が交通違反をするから、すべての運転手を不要とする」
という理屈と同じだ。撮り鉄のなかにはルールを守り、鉄道文化の発展に貢献している人も多い。少数の問題行動を理由に、趣味全体を否定するのは正しいかどうか慎重に考えるべきだろう。
ふたつめは、「迷惑をかける者は社会から排除すべきか」という問題だ。これは、モビリティに関わるあらゆる分野にも当てはまる問題だ。例えば、
・駅で大声を出す酔っ払い
・車内で騒ぐ学生
・違法駐車をするドライバー
などだ。こうした迷惑行為をした人々を理由に、それらの移動手段や関わる人々を不要とするのは難しい。むしろ、問題行為を改善することが求められるべきであり、趣味ごと排除しようという考え方は短絡的だ。
ひろゆき氏は「撮り鉄はお金を落とさない」とも指摘したが、この点についてデータに基づいて考える必要がある。
まず、撮り鉄が利用する経済圏は、鉄道運賃だけにとどまらない。
・カメラ機材
・レンズ
・三脚
・撮影ツアー
・鉄道写真誌
など、関連産業への貢献も大きい。実際、国内のカメラ市場で鉄道撮影は一定のシェアを持っており、大手カメラメーカーのマーケティング資料にも鉄道が撮影対象として挙げられることがある。
さらに、撮り鉄が鉄道の記録者として果たす役割もある。鉄道会社自身が保存していない過去の車両や路線の記録が、愛好家の写真によって残されることが多い。これらは鉄道史の資料としての価値を持ち、鉄道文化の継承に役立っている。こうした点を無視して、お金を落とさないから不要というのは、経済的な側面を狭く見ているといえる。