「練習は家でしてください」 大阪ストリートピアノの炎上騒動! 「練習 = 家」は正しい? 誰のための自由? 騒音vs文化、公共空間の哲学を問う
ストリートピアノが提供する自由な演奏の場には、騒音やマナー違反の問題も浮き彫りになっている。公共空間における「自由」と「快適さ」のバランスをどう取るかが、社会全体で問われている。設置の意図や経済的影響も絡み、今後の方向性が大きな議論を呼んでいる。
公共のピアノは誰のものか

駅や商業施設、観光地の一角に置かれたストリートピアノ。誰でも自由に弾けるという開放的な理念のもと、各地で設置が進んでいるが、一方で騒音問題やマナー違反などが指摘されることも少なくない。
大阪・南港の商業施設内に設置されたストリートピアノでは、
「練習は家でしてください」
との掲示がSNSで大きな物議を醸した。ピアノを弾く自由は保証されるべきなのか、それとも演奏の質や周囲の環境を考慮した制限が必要なのか――。議論が噴出する背景には、そもそも
「自由とは何か」
という根本的な問いがある。ストリートピアノをめぐる問題は単なる音の快・不快の話ではなく、公共空間の在り方そのものを問う問題へとつながっている。本稿では、なぜストリートピアノが論争の的となるのかを、都市環境や経済的視点も交えて考察する。
ストリートピアノの歴史

ストリートピアノは、公共の場所に設置され、誰でも自由に演奏できるピアノのことだ。鉄道駅や空港に設置されるものは
・駅ピアノ
・空港ピアノ
とも呼ばれるが、設置場所は街角だけでなく、建物のロビーなども含まれる。演奏に特別な許可は不要で、公共性のある場所に設置されたピアノがストリートピアノとして認識される。
その発祥には諸説があり、英国のイングランド中部の工業都市・シェフィールドで2003年、引っ越し時に放置されたピアノをきっかけに広まったという説が存在する。
また、2007年にはアーティストのルーク・ジェラムが「Play Me,I’m Yours」というアート活動を通じて、世界中にストリートピアノを設置し、大きな反響を呼んだ(以上、中村亮「駅ピアノ-NHKの番組から-」。ニッセイ基礎研究所)。
この活動は、音楽を通じて人々や街を繋げ、自由に演奏できる環境を提供することを目的としている。