新橋の違法「路上居酒屋」にレッドカード! 60回指導無視で営業停止、でも「サラリーマンの聖地」今後どうなる? 活気か、ルールか? 新橋の未来に迫る
新橋の路上営業問題は、単なる違法行為にとどまらず、都市空間の管理と経済活動のバランスに新たな視点を提供している。コロナ禍以降、路上営業が増加するなか、行政は厳格な対応を取ったが、都市の活気を損なわず秩序を保つ方法は何か?この課題に対する持続可能な解決策を探る。
路上営業の拡大と規制強化

新橋は東京の中心に位置し、長い歴史を持つ街だ。「サラリーマンの聖地」として親しまれ、戦後の日本経済成長とともに発展してきた。その名前は江戸時代初期の1600年代初頭に架けられた「新橋」に由来し、江戸と浜松町、品川方面を結ぶ重要な交通の要所として栄えた。周辺は商業活動が活発化し、宿屋や飲食店が集まり賑やかな地域に成長した。
第二次世界大戦後の1950年代から1970年代にかけて、新橋はその地位を確立する。高度経済成長期、サラリーマンたちは昼間に働き、夜は新橋の居酒屋や飲み屋街で集まり、交流を深めた。新橋の飲み屋街文化は盛り上がり、サラリーマンにとって仕事帰りの憩いの場となった。駅周辺には多くの飲食店が立ち並び、銀座や丸の内といったビジネス街とも連携し、オフィス街としても発展した。
近年、夜の賑わいは店舗内にとどまらず、店舗前の路上にまで広がる傾向が強まっていた。摘発された店では歩道や車道にテーブルや椅子を並べ、路上で営業を行っていた。この営業形態は違法だが、客にとっては開放的な雰囲気を楽しめ、店舗にとっては座席数を増やせるというメリットがあった。そのため、一部の店ではこの営業形態が黙認されることもあった。
しかし、度重なる苦情や通報を受けて、警視庁は対応を強化。風営法に基づく営業停止処分という異例の措置が取られ、これは全国的にも初の事例となった。