なぜ「面影橋」は歌になる? NSP、かぐや姫…名曲を生んだ「早稲田の風景」と「消えゆく学生街

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都市の記憶が消えゆくなか、東京さくらトラムの面影橋は今も「追憶」の象徴としてたたずむ。多くの楽曲に歌われたこの地は、学生文化とともに変遷を遂げながらも、どこか懐かしさを残す。なぜ、この橋は人々の心を掴み続けるのか――歴史、音楽、そして都市の変容を辿る。

面影橋の歴史と文化的背景

面影橋停留場(画像:写真AC)
面影橋停留場(画像:写真AC)

 筆者(増淵敏之、文化地理学者)は先日、所用で早稲田大学に行く際、王子から面影橋(東京都新宿区)まで東京さくらトラム(都電荒川線)に乗った。この路線は東京に残された最後の都電である。普段は地下鉄東西線早稲田駅を使うことが多いが、今回は王子からということもあり、路面電車を利用することにした。

 面影橋は江戸時代から神田川に架かっていたとされ、その歴史は深い。諸説があるが、江戸時代には「姿見橋」と呼ばれ、蛍の名所としても知られていたという。神田川の北側を流れる小川に架かっていた橋だという説もある。この説では、歌川広重の「高田姿見のはし俤の橋砂利場」において、手前の神田川を渡る橋が「姿見の橋」、奥の小川に架かる橋が「俤の橋」と描かれている。

 面影橋の近くにはその由来を解説する案内板があり、さまざまな説が紹介されている。近年では桜の名所としても有名で、さらには江戸城を築城した太田道灌の「山吹伝説」にまつわる場所としても知られている。

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