なぜ「面影橋」は歌になる? NSP、かぐや姫…名曲を生んだ「早稲田の風景」と「消えゆく学生街」【連載】移動と文化の交差点(10)
都市の記憶が消えゆくなか、東京さくらトラムの面影橋は今も「追憶」の象徴としてたたずむ。多くの楽曲に歌われたこの地は、学生文化とともに変遷を遂げながらも、どこか懐かしさを残す。なぜ、この橋は人々の心を掴み続けるのか――歴史、音楽、そして都市の変容を辿る。
フォークの名曲「面影橋」の誕生

面影橋といえば、筆者は世代的にNSPの「面影橋」を思い出す。この楽曲は、恋心を抱く友人の彼女を面影橋まで送るというエピソードが描かれている。筆者が学生時代、岩手県から登場したNSPは1973(昭和48)年に「さようなら」でデビューし、その後
・夕暮れ時はさびしそう
・赤い糸の伝説
・冬の花火は思い出花火
などのヒット曲を生み出した3人組のフォークグループだった。繊細で抒情的な楽曲は多くの若者の心を捉え、1979年の「面影橋」もその代表曲のひとつである。
大半の楽曲を作詞・作曲していたメインボーカルの天野滋は2005(平成17)年に亡くなり、メンバーの中村貴之も2021年に鬼籍に入った。現在、残されたメンバーは平賀和人のみとなった。NSPは一関工業高専の同級生で結成されたが、それでも日本のポップミュージックの歴史を語る上では欠かせないフォークグループであったといえる。