「青春18きっぷ」はもう役目を終えた? “自由”を奪うルール変更、JRの事情は分かるが「独自の魅力」はどこへ行く

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「青春18きっぷ」のルール変更が波紋を呼んでいる。従来の自由な利用法が制限され、利用者からは「実質的な値上げ」や「自由の喪失」との声が続出。さらに、新オプション導入で混乱も。JRの狙いは効率化と不正防止だが、利用者の反発は根強い。

「1枚」が旅の動因にも

旅情のイメージ(画像:写真AC)
旅情のイメージ(画像:写真AC)

 特に多く寄せられたのは、前稿でも指摘したとおり、今回のルール変更を「改悪」と捉える意見だ。値段こそ変わらないが、使用条件が厳しくなったことで

「実質的な値上げ」
「実質的な廃止」

だとする見解もあった。

 こうしたフレーズは、そのニュアンスをよくくみ取る必要がある。「不便」「実質値上げ」といった反発は、言葉とおりの実利的な“剥奪感”にとどまらない。反発の言説の背後に読み取れるのは、青春18きっぷを使うことによって得られた

「自由を謳歌(おうか)している感覚」

が失われる、という感性の剥奪感だ。

 例えば、従来のルールならば、利用期間の初期に「取りあえず1枚買っておこう」と入手し、「『青春18きっぷ』が手元にある」ことが動因となり、日帰りや1泊など手軽な旅行に出られる、ということもあり得た。利用日も回数も、期間内ならば思いのまま、

「思い立って遠出できる」

という自由さは、値段の安さにも増して魅力だったといえる。

 前稿で指摘したように、JRから経営分離された第三セクターに利用範囲を拡大するなど、ルール変更が(たとえ値上げしても)ユーザーが感じていた不便さの解消とセットならば、ここまでの反発はなかったのではないか。前回の拙稿に寄せられた意見にも

「(JRからの経営分離で)第三セクター化された路線が増加し『青春18きっぷ』の利用範囲が狭まっていた」

といった不便を指摘する声があった。ルール変更が、新たな「鉄道旅行の楽しみ」を提案しないまま、自由度が狭められたと解釈されたと推察される。

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