大阪の秘境路線「南海汐見橋線」 過疎地ばりの乗降客数がなぜか増加! もしや将来ワンチャンあるのか

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大阪市の真ん中を走りながら、過疎地のローカル線並みの乗降客しかいない南海電鉄の汐見橋線。廃止のうわさも絶えないが、乗降客はわずかずつ増加に転じている。

汐見橋線の歴史と変遷

岸里玉出駅に到着した汐見橋線の列車。手前が南海本線(画像:高田泰)
岸里玉出駅に到着した汐見橋線の列車。手前が南海本線(画像:高田泰)

 汐見橋線は通称で、正式には南海高野線。もともと私鉄の高野鉄道が和歌山県の高野山へ向かう路線として明治時代の1900(明治33)年に敷設した。

 その後、高野鉄道が南海電鉄に合併され、列車の始発駅が中央区の南海難波駅に移ったため、汐見橋線は短距離路線になった。しかも、1985(昭和60)年の南海本線高架化で高野線の線路が完全に分断されている。

 汐見橋線は1960年代前半、汐見橋駅の1日平均乗降客が4500人を超すなど、都会の鉄道路線といえる利用があった。それを支えたのは沿線にあった工場への通勤だ。戦前にはユニチカの前身に当たる大日本紡績の津守工場が約4000人の従業員を抱え、西成区の社宅近くに鶴見橋商店街が形成された。

 大阪府によると、戦後も大阪府内にある工場のうち、大阪市が1955年で67%、1970年で54%を占め、汐見橋線沿線にも金属や機械、繊維関係などの工場が立地していた。しかし、工場の減少で通勤利用が減り、

「都会の秘境路線」

などと呼ばれるようになる。

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