「代官山 = 衰退している」は間違い! 歴史をたどって初めてわかる、代替不可な真の価値とは

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最近、この代官山かいわいに変化の兆しが見え始めている。かつての勢いは失われ、駅周辺には空きテナントが増えた。SNS上では代官山の「衰退」がささやかれるようになってきた。代官山は本当に衰退しているのか。

脚光を浴びたのは80年代後半から

代官山駅(画像:写真AC)
代官山駅(画像:写真AC)

 渋谷区南西部に位置する代官山町。原宿や表参道と並び、日本を代表する流行発信地として知られている。

 しかし最近、この代官山かいわいに変化の兆しが見え始めている。かつての勢いは失われ、駅周辺には空きテナントが増えた。SNS上では代官山の「衰退」がささやかれるようになり、関連するネットニュースも増えている。代官山は本当に衰退しているのか――。

 流行発信地としての代官山の歴史は意外に浅い。この街が脚光を浴びたのは1980年代後半だ。さらに認知されるようになったのは、さらに後の1990年代後半である。

 代官山は昔からにぎわっていたというイメージがある。しかし、実際には、代官山は日本経済の成長と文化の爛熟(らんじゅく)期を迎えて急速に人気が高まった街にすぎない。つまり、

「代官山 = 繁華街」

というイメージは間違いなのだ。

 代官山は、JR渋谷駅、恵比寿駅、東急東横線中目黒駅に囲まれた中央に位置する。周辺地域がいずれも農村から商業地へと発展してきたのに対し、代官山は純然たる住宅地として発展してきた。

 代官山のシンボルである同潤会代官山アパートが完成したのは、1927(昭和2)年。同年、東急東横線の代官山駅も開業した。にもかかわらず、代官山には商店街が形成されなかった。そのため、生活の利便性は高くなかった。買い物といえば、渋谷か恵比寿か中目黒に行くしかなかった。いずれも坂道を10分以上歩かなければならない。繁華街には近いが、住むには不便な町だった。

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