秋田新幹線「被災」で見えた、公共交通“効率至上主義”への疑念 これからは競争より協力の時代である
競争より協力を

よく人は、「4時間の壁」などと言って航空機と新幹線の対決構造をつくりたがる。どちらが安いのか、どちらが実質的に速いのかということだ。高速バスと鉄道も同様、さらに鉄道の複数のルートでも対決をさせるのが好きだ。
話としては面白い。ライバルの対決は見ている側としてはわくわくさせられる。しかし複数のライバルが対決しあう構図が、何かあった際に一転、協力しなければならない関係になる。
秋田新幹線と羽越線特急、飛行機がそれぞれ協力することになった。秋田新幹線運転再開後も、大曲~秋田間の在来線が運行できない状況にある。ここでは、標準軌の田沢湖線用普通列車車両や代行バスだけではなく、「こまち」でもこの区間に限っては乗車券や定期券だけで乗車することができるようになった。
代行バスでは秋田から大曲まで時間がかかり、直通する人には新幹線の立ち席を利用してもらうという考えだ。何もかも、
「ライバル同士の競争がサービス向上や価格競争をもたらす」
という側面ばかりに目を向けてはいけないのである。
公共交通機関は誰にでも開かれたものでなければならず、どんなときでもなるべく輸送の使命を安全に果たすことが第一とされるものである。
そのためには、どの交通機関にもある程度の冗長性がなければならない。急に増えた利用者を引き受けるだけの余裕を、あるいは増発に耐えられるための車両や機材を備えておくことが必要である。
近年、鉄道や航空機、バスに限らず、余裕のない車両や機材を
「いかに効率よく回していくか」
ということが重視されている。冗長性がないゆえに乗客がいても運行できないということが近年目立つ。乗り物の運転士が足りないゆえに減便、ということもバスなどでは多くある。
今回の秋田新幹線運休は、短い期間で解消し、運休期間にも代替交通機関が充実しているために何とかなった。しかし、過去にあった鉄道の運休では、代替交通機関の少なさゆえに対応が難しく、車両なども被災して本数減などの対応を迫られた事態も発生した。
“無駄”を省きたがる傾向があるこの国だが、公共交通機関にある程度の冗長性がないと、何かあったときに危機的なことになるのではないか。