自動車免許を取ると、なぜ「原付」も運転できるようになるのか?
自動車の発明は1886年
普通自動車免許を取ると、自動車だけでなく原動機付自転車(エンジンの排気量50cc以下の二輪車、以下原付)も運転できるようになる。自動車と原付は異なる乗り物だが、いったいなぜだろうか。その背景を調べたところ、自動車やオートバイの普及とともに変化してきた運転免許の歴史があった――。
ドイツ人技術者だったカール・ベンツが、ガソリンエンジンを使った自動車を発明したのは1886年である。そして、日本では政治家の十文字信介が1896(明治29)年、輸入した自動車を皇居前で走らせた。これが日本の自動車史の始まりとされている。
その後、1898年にフランス人技術者のジャン・マリー・テブネが来日、東京市内を自身の自動車で走行した記録が残っている。このとき、テブネは帰国時に自動車を売るつもりだったが、値段が折り合わずに、買い手が付かなかったという。
その後、日本にも自動車が輸入されるようになったが、自家用車を持てるのは一部の富裕層だけだった。それでも1900年代初頭には、全国各地で自動車を買う人が現れ始めた。なぜなら
・乗合自動車
・運転手付きの時間貸し
で、営業運転を行う人たちが出てきたからだ。これがきっかけとなり、日本でも自動車は普及していった。
なお、自動車の国産第1号は、岡山県の山羽虎夫が1904年に開発している。動力は蒸気で、同様に営業運転を行う人たちに依頼されたためだった。ちなみに当時は皆、無免許だった。
特殊技能だった運転技術
自動車の免許制度は、フランスが1893年に定めたものが初めてとされている。その後、英国で始まったのが1903年。米国は州ごとで対応が異なり、1910年代以降にようやく全土で義務づけられていった。
日本で自動車免許に近かった制度は、1903(明治36)年に愛知県で施行された「乗合自動車営業取締規則」だった。その名のとおり、あくまで乗合自動車に関する規則であり、自家用車は対象ではなかった。
自家用車も含めた制度は、1907年に東京警視庁が施行した「自動車取締規則」だった。当時は「自動車運転手鑑札」と呼ばれる木製のふだに焼き印で
「第○号自動車運転手鑑札、住所、氏名、生年月日」
と記されていた。これは全国一律の制度ではなく、東京府での運転を対象にしたものだった。これを見た各地の自治体はその後、同様の制度を導入している。
ただ、前述のとおり、「自動車取締規則」で交付されたのは免許ではなく「鑑札」だった。すなわち、申請に対して許可するものであり、試験で技能を確認していなかった。また、対象となるのは四輪の自動車だけで、二輪車は含まれていなかった。
当時、試験なしに運転が許可されていたのは、特殊技能と考えられていたからだ。自動車やオートバイを運転するのは
・職業ドライバー
・自動車を所有できる富裕層
くらいで、街なかで目にすることは少なかった。鑑札をもらいに来る人は、運転がきちんとできるという前提で、制度もそう設計されていた。
この緩い制度は、1919(大正8)年に内務省令が全国統一の交通法規「自動車取締令」を定めるまで続いた。