ネット上の「鉄道記事」に毎回暴言を吐く人たちに欠けたもの それは「歴史とは何か」という目線である
鉄道の駅やルートに関する歴史を検証するとき、私たちはさまざまな史料を調べ、選び、考える。このときに最も重要ばなのが、その史料の持つ「価値」である。
「鉄道忌避伝説」とは何か

鉄道の駅やルートに関する歴史を検証するとき、私たちはさまざまな史料を調べ、選び、考える。このときに最も重要なのが、その史料の持つ「価値」である。
例えば、ある駅が人口の多い地域から離れた場所に設置されているとしよう。その理由として、ありがちなのが
「当時の住民が鉄道に反対したから」
である。
こうした伝説はさまざまな地域で受け継がれ、それが「事実」として受け止められてきたケースも少なくない。これを総じて「鉄道忌避(きひ)伝説」と呼ぶ。忌避とは、
「嫌って避ける」
ことを意味する。
「鉄道忌避伝説」の副作用

この伝説を検証したのが、歴史地理学会会長を務めた地理学者の青木栄一(1932~2020年)である。青木の研究成果は2006(平成18)年に刊行された『鉄道忌避伝説の謎: 汽車が来た町、来なかった町』(吉川弘文館)にまとめられている。
青木の研究を通して、住民の反対により鉄道の駅やルートが現在地になった――という話の多くが事実ではないことが広まった。正確には、事実と断定するには
「史料が乏しい」
ということである。史料をよく調べてみたら、反対したとされる住民が、むしろ積極的に鉄道や駅を誘致していたことが明らかになるケースもあるのだ。
青木の成果が知られると同時に、新たな見方も生まれている。それは、住民が反対したから~という文脈は
「全部疑わしい」
というものである。ようは
・反対したから全部本当だろう
・反対したから全部疑わしい
という、180度ひっくり返っただけの、何とも単純な見方である。
ただ、こうしたものが生まれるのは当然かもしれない。なぜなら、当時を知る人たちが存命である路線ですら「鉄道忌避伝説」が生まれているからだ。