ネット上の「鉄道記事」に毎回暴言を吐く人たちに欠けたもの それは「歴史とは何か」という目線である

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鉄道の駅やルートに関する歴史を検証するとき、私たちはさまざまな史料を調べ、選び、考える。このときに最も重要ばなのが、その史料の持つ「価値」である。

歴史とは何か

E.H.カー『歴史とは何か 新版』(画像:岩波書店)
E.H.カー『歴史とは何か 新版』(画像:岩波書店)

 新幹線開通のような大規模公共事業は、当事者の証言が多く残されている。ならば白黒を明確にできるか――といえばそうではない。

 当事者の発言の裏には「意図」があるからだ。記者が日時を約束してインタビューを行おうとすれば、大抵の人はあいまいな記憶を「個人の都合」で整理して臨もうとする。自身の手柄を大仰に語ることも少なくない。当事者が語っていることも、所詮は

「史料のひとつ」

に過ぎないのであり、真実とはいい切れないのである。

 結局のところ、「鉄道忌避伝説」「我田引鉄」が安易にの否定されがちなのは、昨今の

「これが〇〇の真実だ」

と決めつける、時流と関係しているのだろう。思考の

・単純化
・均一化
・低俗化

は止まらないように見える。

 歴史を学ぶ上での入門書として、英国の歴史家、外交官だったE.H.カーの『歴史とは何か』がある。ここで語られるのは、歴史は

・個人の解釈では決まらない
・絶対的な真実を示す史料などない

ということだ。

 今、歴史的事実として認められている事象はいずれも、

「史料とそれに対する解釈の積み重ね」

であり、広く認められているものであるというわけである。大切なのは「絶対的な真実」を主張するのではなく、情報を探ることに力を入れ、他人と語り合い、世界観を広げることである。

 筆者に限らず、鉄道関連の記事には、インターネット上のコメント欄やSNSで、持論というより、暴論が吐かれることが多い。彼らは彼らが解釈した「絶対的な真実」を主張し続けている。

 重要なのは合意形成である。社会学者の宮台真司氏は以前、

「意味がある議論というのは、合意形成を目指した議論だ。それ以外の議論では、動員=モビライゼーションのためにリソースを持っているヤツが勝つことになるので、基本的に意味がない」

とABEMA Primeで発言していた。

 繰り返す。複雑に絡み合った糸の一部だけを見て、インターネット上で感情的に、脊髄反射的に否定・肯定することはもう止めたほうがいい。もし、あなたが

「成熟した大人」

ならば、なおさらのことである。

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