ネット上の「鉄道記事」に毎回暴言を吐く人たちに欠けたもの それは「歴史とは何か」という目線である
鉄道の駅やルートに関する歴史を検証するとき、私たちはさまざまな史料を調べ、選び、考える。このときに最も重要ばなのが、その史料の持つ「価値」である。
“俗流”から透ける「歴史修正主義」

こうした、いわば“俗流”の「鉄道忌避伝説」「我田引鉄」否定でよく見られるのは、
「鉄道事業者の計画は常に正しい」
という思考形態である。鉄道事業者は当時の技術水準や経済価値を基に、「最適解で路線を建設し、駅を設置した」というわけである。
当然、鉄道事業者は計画実現のために最適解を求めたに違いない。しかし、そこには人々の
「無数の思惑」
が複雑に絡み合っていたはずだ。これは鉄道の歴史に限らないが、そのような影響を軽視するのは一種の
「歴史修正主義」
といえるだろう。歴史修正主義とは
・歴史に関する定説や通説を再検討し、新たな解釈を示すこと
・一般的な歴史認識とは異なる解釈を主張する人、また、そうした言動
である(小学館デジタル大辞泉)。
繰り返しになるが、こうした現象が起こるのは、
「史料が乏しい」
からだ。
「鉄道忌避伝説」に関して、前述の青木は実際に反対運動があったことを示す史料も提示している。“その上で”、多くの事例では史料がなく忌避が伝説であったのではないかと結論づけているわけだ。別段「鉄道忌避伝説」そのものが幻と指摘しているわけではない。いわずもがな「我田引鉄」も同様である。