戦後に英国メーカーと提携! 「いすゞ・ヒルマンミンクス」という、ノックダウン成功作の今も色あせぬ魅力とは

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第2次世界大戦後の国産乗用車生産の歴史は、1949(昭和24)年10月に発表された乗用車生産の全面解禁から始まった。

いま見てもエレガントで上品なデザイン

ヒルマン用エンジン(画像:いすゞ自動車)
ヒルマン用エンジン(画像:いすゞ自動車)

 さらにスーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3グレード導入に合わせて、デラックス系には55ps仕様エンジンが、スタンダードには50ps仕様エンジンと差別化が図られることとなった。

 また、1959(昭和34)年9月にデビューしたマイナーチェンジ版からはエンジンが1494ccと小型乗用車の規格一杯に拡大された。

 続いて1960年からは、アメリカで少し前に流行したテールフィンを遅ればせながら導入。テールフィンとはいえ60年代らしい控え目なデザインであり、大型化されたテールランプと合わせてハイスタイルと呼ばれた。

 そのほか、同時期に登場したモデルとしては、いすゞが独自に開発したライトバンがあった。いすゞ・エキスプレスと呼ばれたこのモデルは、ミンクスのボディ後半をライトバン化したものであり、リアシートのないカーゴバンとリアシート付きのライトバンの2モデルが用意された。

 ここへきて、ヒルマンミンクスは完全にいすゞ自身のものになったといってよかった。1962年、いすゞヒルマンミンクスはさらに装備を充実化していった。1963年4月にはデラックス系のエンジンを70psにパワーアップ。このモデルは1964年6月の生産終了まで、いすゞヒルマンミンクスの完成形として多くのユーザーに愛された。

 いすゞはヒルマンミンクスを通じて乗用車生産の何たるかを学び、その成果は後継となったベレルとベレットという純国産モデルに反映された。現代の目で見てもエレガントで上品なヒルマンミンクスは、いわゆるノックダウン車をルーツとするモデルの中でも極めて成功した1台である。

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