誕生が早すぎた? アイディア満載、先進セダン「スバル1000」の閃光記憶

キーワード :
, , ,
1960年(昭和35)年12月5日、先にスバル360という大ヒット作を軽自動車市場に送り込んでいた富士重工(現SUBARU)は新しい小型乗用車プロジェクトをスタートさせた。

開発プロジェクトは1960年スタート

スバル1000の4ドアセダン(画像:SUBARU)
スバル1000の4ドアセダン(画像:SUBARU)

 1960年(昭和35)年12月5日、先にスバル360という大ヒット作を軽自動車市場に送り込んでいた富士重工(現SUBARU)は新しい小型乗用車プロジェクトをスタートさせた。

 コードナンバーA-5。さまざまな制約から、スバルにとって結果的に小型車開発の基礎技術習得に終わったP-1に続く、より積極的に市販化を狙った小型乗用車開発プロジェクトだった。

 ここで計画された小型乗用車は空冷水平対向4気筒エンジンを搭載したFF(フロントエンジン/フロントドライブ)車という意味で、後のスバル1000のルーツに他ならなかったが、結局スバル自身がFF車に関する基礎技術を持っていなかったことから実用化には至らず、

 新たに設計され時間を掛けて熟成された次の試作車は、最終的に63-Aと呼ばれることとなった。63-Aの量産試作は1963年夏に基礎開発が始まり、1964年に量産化への本決定がなされた。そして1966年5月、63-Aから発展したスバル初の小型車、スバル1000がデビューを飾った。

 スバルが初めての量産小型車造りを行う上で、ここまで我を貫いたのには確固とした理由があった。それは後発メーカーである以上、

・他社のモノマネでは良いはずがないという販売サイドからの要求
・弱小メーカーではあるものの技術力には遜色ないという開発陣のプライド

であり、結果的にスバル1000は、そのメカニズムはいうまでもなく内外装のデザインに至るまで完全にスバルオリジナルであると評価することができた。

 977ccの水冷水平対向4気筒OHVエンジンをフロントに縦置きに搭載、クランクシャフトからトランスミッションまでのラインは一直線であり、そこから左右に振り分けられたドライブシャフトのデザインには一切の無理がなかった。サスペンションは4輪独立懸架、ステアリングはシャープなラック&ピニオンだった。

全てのコメントを見る