私がどんな「燃料電池車」にも、いささかも同意できない4つの理由

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21世紀に入った頃、20年後くらいに自動車はFCVへと移行するという見解が少なくなかった。しかしなぜ実現しなかったのか。

水素製造に伴うCO2排出というジレンマ

水素ステーション(画像:写真AC)
水素ステーション(画像:写真AC)

 さらに、FCVにおけるユーザー目線での懸念のひとつに、

「耐久性はいかほどのものなのか」

ということが挙げられる。

 リース車両であれば保守点検修理はリース会社持ちだが、買い取りともなればこれらのランニングコストや入れ替え時のリセールバリュー(購入したものを再販売するときの価値)なども大きな課題となって来る。構造的に見ても、その保守費用は通常の内燃機関やバッテリーEVなどと比較して安価ということはあり得ないだろう。

 その上でもっと長期的な視点でFCVを俯瞰(ふかん)した場合、その存在は果たして社会が目指そうとしている脱炭素社会にマッチするのかどうか、と言う根源的な命題に行き着く。

 そもそも、水素を製造するためには相応の電力を必要としており、その供給源は言うまでもなく

「再生可能エネルギーのみで成り立っている」

わけではない。むしろ、燃料電池で得られるCO2排出削減量を水素製造に伴うCO2排出量が大きく上回っており、それは長期的に見ても容易に改善できる問題ではない。

 FCVは、ゼロエミッション(排出ゼロ)という意味ではまさに究極な存在である。しかも燃料の水素は、元素単体としての資源量としてはほぼ無尽蔵である。その一方、一般庶民が低コストでその恩恵を十二分に得る様になる時代は果たして来るのか。来るとしてもそれは数百年後の未来なのではないのか。

 価格、水素ステーションの数、耐久性、脱炭素社会への適合――次々と懸念が沸いて来ざるを得ないのが、現時点でのFCV業界なのである。

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