原付のルーツ! ホンダ「カブ号F」とかいう、戦後を駆け抜けたイカす乗り物
制度導入で自転車用補助エンジンに光

そして前述通り、軽自動二輪車から分離する形で1952年から導入された「原動機付自転車(排気量90cc以下の二輪車/2ストロークサイクルの場合は60cc以下)」が登場する。
ただし試験が必要な免許証ではなく、視覚と聴覚という簡易な検査をクリアさえすれば簡単に許可証が交付される許可証制度となっていた。交付に当たっての最低年齢も14歳と現代よりもはるかに規制が緩かったと言っていい。
この原付許可制度の導入に真っ先に反応したのはかつて市場で人気を集めた自転車用補助エンジンだった。本田技研工業は真っ先にA型に続く「カブ号F」を投入。他には
・大和技研工業「大和クイン号」
・瑞穂金属工業「ペティ号」
・日本内燃機製造「パンキー号」
・鈴木式織機「パワーフリー」「ミニフリー」
・富士精密工業「BSバンビー号」
・東京発動機「トーハツ・パピー」
ほか、大中小メーカー合わせて多数が登場する。
ちなみにこの手の自転車用補助エンジンは免許制度が曖昧ゆえ、事実上無免許でも運転可能だった終戦直後から数種がリリースされていた。冒頭に記した本田技術研究所の最初の商品とその改良型であったA型などである。
操縦安定性も向上

しかし前述した通り、1948(昭和23)年に免許制度が改正されたことで新たに免許が必要となったことから多くが姿を消した。A型が生産を継続したのは免許制度改正後もそれなりに需要があったことが理由である。
復活した自転車補助エンジンであるカブ号Fは2ストロークサイクル50cc単気筒という基本メカニカルスペックはA型と同じだったが、カブ号Fはエンジンの搭載位置をA型のフレーム前方から後輪の左サイドへと移していたのが特徴。
これによって、従来は排ガス中の未燃焼オイルで服が汚れてしまうという欠点が改善された。またエンジンの搭載位置が低くなったことで重心が下がり操縦安定性も向上した。
さらにエンジン本体を鮮やかな赤に、その上部の丸形燃料タンクを白にペイントすることで、見た目の良さを商品価値に反映させていたのも特徴であり、町中では「赤カブ」として親しまれることとなった。
1953(昭和28)年には原動機付自転車規格の最大排気量60cc(1/3合)未満という規定一杯に合わせて58ccとしたカブ号FIIが追加投入された。