率直に問う 日本はなぜ「戦闘機用エンジン」を国内開発できないのか?

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防衛省は、将来の防空を担う航空自衛隊の次期戦闘機を英伊と共同で開発する方針を定めた。この決定は従来の米国機導入や国内開発とはまったく異なる路線だ。

日本が目指した戦闘機の国産開発

次期支援戦闘機(FSX)試作1号機。愛知県西春日井郡豊山町・三菱重工小牧南工場。1995年1月12日撮影(画像:時事)
次期支援戦闘機(FSX)試作1号機。愛知県西春日井郡豊山町・三菱重工小牧南工場。1995年1月12日撮影(画像:時事)

 防衛省は、将来の防空を担う航空自衛隊の次期戦闘機を英伊と共同で開発する方針を定めた。まだ詳細が明らかではなく、今後の折衝で行方が左右される余地も大きいと思われるが、この決定は従来の米国機導入や国内開発とはまったく異なる路線だ。

 戦後の日本政府と企業は、自衛隊の使用する兵器をできるだけ国産化する方針を採ってきた。米国から兵器を買うだけでは、日本の防衛環境に適した兵器は手に入れにくく、外貨も流出する。必要な装備を国産化できれば、防衛費の支出は国内の技術育成や雇用創出につながり、乗数効果の高い公共投資として国内経済にも大きく貢献する。

 たとえ輸出できなくとも、数を必要とする装備品を国産化すれば、経済効果や補給の面で合理性はあり、日本の国土面積や経済規模なら、輸出に依存せず防衛産業の自立は可能である。そうした国産兵器の到達点として目標にされたのが、防空を担う純国産戦闘機だった。

 1980年代には、次期支援戦闘機FS-Xの国内開発が計画され、後に続く純国産主力戦闘機への足掛かりとされた。しかし知られているとおり、日米貿易摩擦に端を発した米国の介入によって、FS-XはF-16戦闘機の改造開発とすることが決定され、これが現在のF-2戦闘機となった。

 東西冷戦が終焉(しゅうえん)を迎えた1990年代、日米関係は明らかに形を変えつつあり、日本の兵器開発が岐路に立ったことを示す出来事であった。

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