「観光バスツアー」はオワコンか、はたまたナウいのか? コロナ不況で注目される、参加費「1万円以下」というコスパぶり
初の観光バスは約100年前
1925(大正14)年12月15日、東京遊覧乗合自動車が東京都内の定期観光バス「ユーランバス」を運行した。これが観光バスの起源とされている(現在12月15日は「観光バス記念日」となっている)。
【無料セミナー】「自動車DXサミット vol.3」 三菱ふそう KTC マツダ登壇 Amazonギフトカードプレゼント〈PR〉
その後、同社の観光バス事業は新日本観光(1948年設立。1963年に「はとバス」へ社名変更)に引き継がれた。新日本観光は設立翌年の1949年には団体貸し切りの観光バス第1号車を運行した。同年に観光バスの名物である女性ガイドを採用し、都内定期観光バスの運行も開始している。
世界的に見ると、観光バスはヨーロッパが起源とされており、オープントップバスなど今も海外で見られるが、日本では独自の進化を遂げて一大観光産業として成長した。観光バスと呼ばれるものには観光地での周遊バス、観光地へ向かう定期バスのほか、
・団体の貸し切りバス
・ツアー商品としての乗り合いバス
などさまざまな形態があるが、ここでは世情や施策によって変動する団体の貸し切りや乗り合いの観光バスを見ていきたい。
80年後半に自家用車の旅行者増加
高度経済成長期において、観光バスは国内観光の主流のひとつだった。当時の観光バスツアーは団体貸し切りで景勝地や史跡、温泉地などの定番的な観光地を巡る1泊~2泊程度の宿泊旅行が多かった。
すでに自家用車が普及してきていたものの、当時は修学旅行・社会学習などの学校団体旅行に加え、会社や商店街、町内会の慰安旅行などの団体旅行が盛んで、今と違ってコミュニティーへの依存が強かった時代だった。
観光地にとって、観光バスは大量の観光客を動員する重要な交通手段であり、競って誘致を図った。1980年後半にもなると、団体での均一的な行動を強いられることを嫌う若者が増え、コミュニティーのつながりも希薄になり、自家用車の個人旅行者が増加していった。
その一方で、バブル期には一大スキーブームが訪れ、乗り合い型のスキーバスの需要は拡大。バブルが崩壊して景気が減速するとお金のかかるスキーは下火に、会社の団体旅行も減少した。
2000年代ごろからは観光バスの良さが改めて見直されている。乗り合い型で、気軽に参加できる日帰りツアーが多くなった。ツアー内容はよく知られた観光地を巡るものではなく、普段はなかなか行けない場所へのツアーや、そのツアー限定の特別な体験ができることが目玉となった。これは、企画提案力を強化したことでツアーの魅力が高まり、
「ツアー自体が目的化」
したと言える。