臨海地下鉄に漂う疑念 構想自体は「90年前」から存在、しかし何度も立ち消えになっていた!
東京都が発表した都心・臨海地下鉄新線構想だが、本当に成功するのか。都心と臨海部をつなぐ話は以前から何度も立ち消えになっているのだ。
歴史は繰り返すか

この計画はかなり具体的で、当時の新聞には次のような記述が残っている。
「現在でこそ同フ頭は貨物線の発着がほとんどを占めるが、将来国際貿易センターが完成すれば当然貨客船も横付けされ、観光客の出入りも激しくなるので、この貨物線に電車を走らせ、一般の利用をはかるねらいもある」(『朝日新聞』1957年11月6日付朝刊)
どうやら、東京都は貿易港の晴海を「国際的な玄関口」として整備し、都心への利便性をはかりたかったようだ。しかし、この計画もその後、立ち消えとなっている。都市の発展によって、埠頭整備が晴海からより海側へと移動したことが関係しているようだ。その後も、晴海に向けた鉄道・地下鉄について何度か報じられたが、結局、一度も具体化していない。
現在の視点から見れば、街外れの埋め立て地にすぎない月島四号地に、市庁舎と地下鉄を計画した東京市は「先見の明」があったといえる。ただ、当時は「あまりにも辺境すぎる」と思われたのも事実だった。以前、勝どきに古くから暮らす住民に話を聞いたが、
「うちの祖母は本所から嫁に来たのですが、築地から渡し船に乗って勝どきを始めて見たときに荒れ地しかないのに驚き「こんなところに嫁入りするなら、このまま隅田川に飛び込んで死のうかと思った」と話していました」
といっていた。今では考えにくいが、月島四号地に市庁舎と地下鉄を建設することは、かなり奇異な計画だったのだろう。
話を冒頭に戻す。地下鉄新線計画は2040年頃に開業を予定しているが、果たして住民から「本当につくってよかった」と感謝されるのだろうか。歴史からたどっても、甚だ疑問しか感じない。読者の皆さんは、いかがお考えだろうか。