T型フォード、実は「中古車の元祖」だった! 大衆車の代名詞が遺した偉大なる功績とは
労働者が購入できる大衆車の元祖といわれるT型フォード。このモデルはそれだけでなく、多数の中古車が全世界で流通するという大きな功績も残している。
他産業の底辺を支える存在でもあった
現代においてT型フォードの誕生から隆盛をへて衰退までの歴史を語るとき、多くのメディアの主要な観点は、システマティックな大量生産技術の確立や経済効果への波及、高賃金との引き換えに強いられた長時間単純労働といった労働問題への影響、そしてアメリカの自動車産業を支えた大衆車というカテゴリーの創設に関する考察がメインとなっている。
しかしその一方で、大量生産された後の中古車や廃車の再利用もまた、アメリカの自動車産業の一端を担った存在であると同時に、カスタムカーカルチャーや社外部品メーカーの登場という、別の産業の底辺を支える存在だったことに今こそ留意する必要がある。
大量の中古車と廃車を前に、当時のアメリカのビジネスマンは何を思ったのか?
そこには、機械というものは大量消費するだけではなく再利用にこそ価値があるという、自動車産業を継続的に運営する上で現代のそれにもつながる発想の転換があったことは間違いない。
現在、世界各地で博物館などに保管されているT型フォードには、そうした先人たちの英知が見て取れるのである。
ちなみにわが日本においては、関東大震災後の復興事業の一環としてアメリカからフォードTT型シャシーを大量に輸入。これに日本国内で簡易なバスボディを架装した車両が「円太郎バス」として人員輸送に活躍した。
これらの車両が本来の役割を終えた後、中古車としてさらにさまざまな形で活用され、その寿命を全うしたことは言うまでもない。