新宿駅西口のロータリー中心部になぜか「換気塔」が設置されているワケ
新宿駅西口の発展は90年代から

新宿駅西口の象徴でもあり、にぎわいをけん引してきた小田急百貨店の新宿店本館が再開発工事に伴って2022年10月2日に営業を休止する。隣接する別館のハルクに一部店舗を移転。現在、ハルクは改装工事中だが、本館の閉館と入れ替わるように10月4日から営業を再開させる。小田急百貨店が立地する新宿駅西口は、1990年代からオフィスビルが集積した。鈴木俊一都知事(当時)が進める副都心計画で重要な役割を担ったエリアでもある。かつての新宿駅西口には、明治期に計画・造成された淀橋浄水場があった。
この浄水場は東京の発展をけん引する役割を果たしたが、東京が急速に発展したことで大正期から移転計画が持ち上がっていた。しかし、淀橋浄水場は都民の大事な水がめだったため、移転計画は慎重に進めざるを得ず、1965(昭和40)年に東村山浄水場へと役割をバトンタッチされる。これにより、ようやく廃止された。
浄水場跡地があまりにも広大だったこともあり、再開発計画は難航した。というのも行政は広大な跡地を細分化されるのを恐れたからだ。できるだけ広い区画を、丸ごと売却したい。
そんな行政側の思いとは裏腹に、それらを一括購入できる事業者は少なかった。仮に資金が潤沢にあった事業者でも、まったく手つかずの荒野だった西新宿でビジネスをすることは難しい。それでも、京王プラザホテルが1971年にオープン。しかし、茫洋(ぼうよう)とした浄水場跡地は相変わらずの風景だった。
現在のようにオフィスビルが立ち並ぶようになるのは、千代田区丸の内に立地していた都庁舎が移転してきた1991(平成3)年まで待たなければならない。都庁舎の移転を機に西新宿には企業の集積は加速。オフィス街としての体裁を整えると同時に、商業的なにぎわいも生まれた。つまり、新宿駅西口が名実ともに副都心としての風格を備えるようになってから、まだ30年ほどの歴史しか有していない。
他方で、新宿駅東口は西口とは違った経緯で発展を遂げている。東口側は1923(大正12)年に発生した関東大震災が発展の大きなきっかけになった。
それまでの繁華街は、江戸時代の流れをくむ東京の東側に偏在していた。東京の東側が震災で焼け野原と化したので、新天地を求めた商店主たちが新宿駅の東口に店舗を構えた。こうして、一躍、新宿駅東口は東京有数の繁華街へと変貌を遂げていく。
余談になるが、不夜城の異名で知られる新宿・歌舞伎町は戦後の都市計画によって形成された。そのため、関東大震災後に形成された新宿駅東口のにぎわいとは流れが異なる。