新宿駅西口のロータリー中心部になぜか「換気塔」が設置されているワケ

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小田急百貨店の新宿店本館が、再開発工事に伴って10月2日に営業を休止する。工事は新宿駅西口の新たなターニングポイントになるだろう。

浄水場跡地の地形を活用した西口

新宿駅西口の正面にある小田急百貨店本館(画像:小川裕夫)
新宿駅西口の正面にある小田急百貨店本館(画像:小川裕夫)

 坂倉によって1966(昭和41)年に小田急百貨店新館が完成。この新館が、現在の小田急百貨店本館の北側部分にあたる。新宿駅西口の京王百貨店は、小田急百貨店よりも一足早い1964年に開店している。老舗であることを考慮すれば、京王百貨店も小田急百貨店と同一に語られる大きな存在と言えるだろう。しかし、小田急百貨店が象徴的に語られるのは、やはり新宿駅西口の正面に陣取っている位置関係が大きい。

 また、西口の地下を計画した坂倉が小田急百貨店を手がけていたことも関係しているかもしれない。両者が一体的に整備されたからだ。西口の構造は、

「地下の改札口を出て、そのまま歩いていたのにいつの間にか地上に出ていた」

という浄水場跡地の地形をそのまま活用した。

 坂倉は地形を活用して立体的な構造にしていくと同時に、地下空間を最大限に活用するために換気に対して細心の注意を払った。こうした意図から、新宿駅西口広場にはロータリーの中心部に換気塔が配置される。

 当初、換気塔の配置をめぐっては、バスやタクシーなどの動線を邪魔するとの指摘があったものの、坂倉は地下通路や地下街を最大限に活用するのに必要と主張。道路整備においては国内で右に出る者はいないと言われた東京都建設局長(当時)の山田正男も、防災の観点から坂倉の換気塔案に賛成している。

 新宿駅西口の地下には、そのほかにも苦労した部分がある。それは、地下よりも先に西口の百貨店群が建設されていたことだった。従来なら先に広場をつくり、それに合わせて建物を建設する。新宿駅西口では順序が逆になったため、西口広場はそれぞれの建物の階高が異なり開口部に合わせるなど、調整の必要が生じた。

 坂倉は、フランスで活躍したル・コルビュジエに師事した数少ない日本人建築家でもある。ル・コルビュジエに学んだだけあって、坂倉はフランスの設計思想に影響を受けている。そうした設計思想は、新宿駅西口の地下空間にも込められている。

 新宿駅西口の改札を出た地下空間は、当初は“広場”という扱いになっていた。これは、ヨーロッパ各国に見られる人々が集える場を意識したものと言える。実際に西口の地下空間は、完成直後から多くの人たちが集まるようになった。例えば、学生たちがベトナム戦争に抗議するフォーク集会は黒山の人だかりとなる。これには行政当局も困惑する事態になる。フォーク集会は最大で7000人もの学生を集めたとされておいり、それは交通に支障をきたす事態になってしまった。駅前広場の役割は、交通の結節点として動線をスムーズにすることが第一義とされる。

 また、反戦集会を取り締まりたいという警察の思惑もあった。警察は機動隊を出動させて排除を決行。それでもフォーク集会は盛んにおこなわれたこともあり、道路交通法を改正するという禁じ手が繰り出されることになった。

 道交法の改正により、新宿駅西口の広場は広場から通路という扱いに変更された。この変更により、西口広場に集まることは原則的に禁じられ、フォーク集会は下火になる。その後、西口広場は地上が自動車、地下が歩行者という“通路”としての役割を忠実に果たしていく。

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