新宿駅西口のロータリー中心部になぜか「換気塔」が設置されているワケ

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小田急百貨店の新宿店本館が、再開発工事に伴って10月2日に営業を休止する。工事は新宿駅西口の新たなターニングポイントになるだろう。

駅前広場が計画された理由

新宿駅西口の活気をけん引してきた小田急百貨店本館(左)と京王百貨店(右)(画像:小川裕夫)
新宿駅西口の活気をけん引してきた小田急百貨店本館(左)と京王百貨店(右)(画像:小川裕夫)

 新宿駅東口が著しく発展していく一方、新宿駅西口は前述したように浄水場によって発展を阻まれていた。しかし、まったく開発計画がなかったわけではない。

 関東大震災によって損壊したのは商店ばかりではなく、住宅地も甚大なる被害を受けた。多くの被災民は安住の地を求めて、被害の軽微だった東京の西側へ移っていく。東京西郊に住宅地が形成される過程では、当時は郊外電車と呼ばれていた私鉄の果たした役割が大きい。

 私鉄各社は郊外に路線を延ばしていたが、多くの住民たちが東京西郊に住宅を求めた結果として私鉄各社の沿線開発が進んでいく。「郊外に家を構え、そこから電車に乗って都心の会社に通勤する」というライフスタイルも生まれた。これは、現代において当たり前の光景になっている。

 都心部の会社に通勤するサラリーマンが増えたことで、当然ながら郊外の足として機能していたターミナル駅は朝夕に混雑することになる。これには鉄道各社のみならず行政も対応にあたった。行政が手がけた対応としては、駅前広場の整備があげられる。東京のターミナル駅は混雑が激しいことから駅前広場の整備は急務となり、次々と駅前広場が計画されて、順次、着工されていった。

 旧内務省(現・総務省)の出先機関である都市計画東京地方委員会は、1934(昭和9)年に新宿駅に駅前広場の設置計画を策定。東京では新宿駅が計画のトップバッターになったことからも、新宿駅が有望なターミナル駅だったことがわかるだろう。

 新宿駅に次いで、1936年には大塚駅・池袋駅・渋谷駅に駅前広場の設置が決まる。現在の大塚駅から想像すると意外に感じるかもしれないが、高度経済成長期まで大塚駅は池袋をしのぎ、新宿に比肩するほどの繁華街としてにぎわっていた。戦前期に内務省が計画した駅前広場は、駅前から放射状に広がる街路とバスの停留場・駐車場・芝生地などで構成されるものだった。

 1934年に設置が決まった新宿駅の駅前広場は繁華街としてにぎわう東口側ではなく、西口に設置される計画図が描かれていた。その計画からもうかがえるように、この時点で浄水場を移転させて西口を開発しようとする意図があったことは間違いない。しかし、同計画はほとんど手つかずに終わっている。

 浄水場跡地の開発デザインを描く動きは、1966年前後から始まる。設計を任された坂倉準三は、戦災で破壊されていた高島屋の大阪難波新館や渋谷駅の東急会館を手がけるなど、駅とターミナル、そして駅前の商業施設を巧みに結びつける実績が豊富だった。

 特に坂倉の名前を有名にしたのが、渋谷駅周辺の計画と開発だろう。坂倉が策定した渋谷総合計画では、旧玉電ビルを改装した東急会館が建設され、1956年にはプラネリタリウムでおなじみの東急文化会館(現・渋谷ヒカリエ)などが完成した。

 こうして渋谷は東京を代表する繁華街になっていく。坂倉の手に新宿駅西口の大改造は委ねられることになったのは、こうした実績もさることながら小田急百貨店の設計を任されていたことが大きい。

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