「戦闘機エンジン」に多大な影響も ガスタービンが自動車用に定着しなかったワケ
自動車用動力としての実用化を目指し、さまざまなスタイルで技術的トライがなされたガスタービン機関。各国空軍の航空機から自動車へ、正解大戦を挟んで活用されたその軌跡をたどる。
1940年代、軍用機エンジンとして脚光

現代、自動車用動力としては、ガソリンレシプロ機関、ディーゼルレシプロ機関、ガソリン機関+バッテリーモーターハイブリッド機関、バッテリーモーター電動機関、燃料電池機関などが実用化されているが、かつては実用化を目指してさまざまなスタイルで技術的トライがなされていた。そのひとつがガスタービン機関があった。
ガスタービンエンジンの歴史において、その父とされているイギリスのフランク・ホイットルが、将来的に実用に供することが可能なガスタービンエンジンの試作機を完成させたのは1937年頃のことである。
彼が純粋な理論としてのガスタービンエンジンに関する論文を最初に書いたのは、1920年代の終わり頃とされているが、慢性的な資金難もあり実機の製作までには長い時間を要した。
彼の考案した遠心圧縮機型のガスタービンエンジンは、1940年代に入ると航空機の高速化を目指していた各国空軍の目にとまることとなり、母国のイギリスは元より敵対国だったドイツ、さらにはソ連やアメリカの航空技術にも大きな影響を与えたと言われている。
第2次世界大戦の後半に初飛行したイギリスのグロスター・ミーティア。アメリカのベルP-59。第2次世界大戦後第一世代のジェット戦闘機として高性能を誇ったアメリカのロッキードP-80。そのライバルだったソ連のミコヤン・グレビッチMIG15。
これらの機体に装備されていたガスタービンエンジン(ジェットエンジン)の原型は、いずれもホイットルの基本設計がルーツだった。