「これは休憩じゃない、拘束だ」――なぜトラック運転手は“荷下ろし前”に消耗するのか? 待機3割が映す物流の歪みとは

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「走っていない時間」が物流をむしばんでいる。2024年問題で表面化したのは輸送力不足だけではない。国交省調査では荷役・待機が運行時間の約3割を占め、2時間超の荷待ちも常態化。物流は今、「運ぶ力」より“滞留を減らす設計”を問われ始めている。

休憩なき拘束と運任せの労働

物流イメージ(画像:写真AC)
物流イメージ(画像:写真AC)

 荷待ちは、傍目には車両が止まっているだけの時間に見えるかもしれないが、現場の実感は全く異なる。

 関西圏の包装資材ドライバーは、スマホを触っている姿を見て「楽でいいな」と思われるのが何より辛いとこぼす。いつ呼ばれるかわからない以上、一瞬も気を抜くことはできず、それは休憩というより拘束に近い。

 食品配送の現場では、積み下ろし場が空いているのに庫内の人手不足で待機を命じられる理不尽も珍しくない。車から離れることもできず、不確実な呼び出しを待ち続ける時間が、体力的にも精神的にも現場をすり減らしていく。荷主側にとって、待機中のドライバーは

「いつでも動かせる無料の蓄え」

のように映っているのではないか。他者の時間を奪うことへの痛痒を感じていない実態が透けて見える。

 労働時間の長さが本人の腕ではなく、運で決まってしまう不合理も根深い。ある食品配送ドライバーは、早朝に受付を済ませても、前の車が手作業で荷を下ろしていれば数時間が溶けてしまうと嘆く。日用品のドライバーも、指定時間に間に合わせようと必死に走ってきたのに、荷物ができておらず待たされるのが当たり前だという。

 自分の努力が届かない要素や確率に、働く時間が支配されている。これは、物流が近代的な産業としての標準化をいまだに成し遂げておらず、現場の忍耐や不規則な調整に頼りきっている証左だろう。個人の力ではどうにもならない領域が広がっているのだ。

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