「ガソリン代のために、食費を削る……」 毎日クルマを使う層の48%が突きつけられた、“逃げ場なき家計圧迫”
変えられない生活構造

前述のとおり48%という数字(「変えたいが変えられない」)は、移動がもはや個人の好みの問題ではなく、生活を回すための絶対的な条件になっていることを物語っているのではないか。車がなければ仕事も暮らしも成り立たない環境に置かれれば、価格がどれほど跳ね上がっても、消費を減らすという道は事実上閉ざされてしまう。彼らにとっての燃料費は、家計のなかでやりくりできる項目ではない。生きるために払い続けなければならない、税金に近い性質を帯びている。
燃費の良い車への買い替えを考える人が、わずか4%に留まっている点も見過ごせない。今の車を使い続けるしかない――切実な事情がそこには透けて見える。ガソリン代を浮かせて得られるわずかな利益よりも、新しい車を手に入れるための多額の費用が壁となっているのだろう。効率の悪い車だとわかっていても、それを使い続けるしかない。中古車価格の高騰や金利の重荷が、より良い選択肢への乗り換えを阻み、人々を今の不自由な状況に縛り付けている。
さらにいえば、3月19日から再開された補助金が、かえって人々の判断を鈍らせている側面もありそうだ。170円という目標価格を掲げて政府が手を貸すことで、市場の厳しい現実に直面する機会が先送りにされている。経済産業省はスタンドへの調査を月2回に増やして価格の監視を強めているが、こうした公的な支えが今の生活を無理に長引かせ、結果として車への過度な依存から抜け出すきっかけを奪っているようにも映る。補助金が切れた瞬間に生活が立ち行かなくなるリスクを抱えながら、多くの人がその場しのぎの対応で、じっと耐え忍んでいるのが実情だろう。
いまの状況は、動かすことのできない日々の暮らしと、激しく揺れ動く燃料費が真っ向からぶつかり合っている状態だ。10年前は130円で「高い」と感じていた基準が、いまでは150円でも受け入れざるを得なくなっている。この事実は、人々の感覚が外からの力によって無理やり変えさせられたことを物語っている。
燃料費の上昇分は、そのまま食費や将来のための蓄えといった、他の大切な資金から直接奪い取られているのが実情だろう。かつて選んだ住まいや生活の形が、いまの高値によって維持できないところまで追い詰められている。住む場所や職場といった動かせない条件がある以上、人々はいまの場所で生き延びるために、他のあらゆる生活の質を削ってでも車を守るしかない。
人間の適応能力は、固定された社会の仕組みという壁によって、すでに限界に達しているのではないか。