「推し活」の原点? 120年前の“会いに行けるアイドル”に熱狂――それを支えた交通手段の正体

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いつの時代も、若い男性は若く美しい女性を目にしたいと思うもの。江戸時代のアイドルは芸者だったが、明治時代になるとさまざまな新らしいアイドルが生まれる。それら近代アイドルの誕生の背景には、交通機関の発展があった。

明治時代のアイドル・女義太夫師

明治時代のアイドル・女義太夫師。葛城天華『女義太夫の裏面』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
明治時代のアイドル・女義太夫師。葛城天華『女義太夫の裏面』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 いつの時代も、若い男性は若く美しい女性を目にしたいと思うものである。だが、明治時代の若い男性は、若い女性を目にする機会がなかった。

“とにかくその頃の青年は、女性と口を利く機会が全くなかった”と証言するのは、明治27年生まれの作家・小島政二郎(『下谷生まれ』)。

 グラビアもネットもテレビもなかった時代である。高等教育は男女別々、男女交際など簡単にはできない封建的社会。芸者遊びや風俗に行く度胸も金もない。

 そんな明治の若い男性が唯一、気軽に若い女性に会える場所が、寄席であった。

“色物の寄席か、女義太夫の寄席へ行って、高座に現れる女芸人にいろんな空想をからませて楽しむしかなかった”(小島政二郎『第2 食いしん坊』)。

 特に女義太夫は大人気となり、合いの手に「どーする!どーする!」と大声で叫ぶファン集団(ドースル連)の熱気で、寄席はさながらアイドルコンサートの会場のようになった。

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