「推し活」の原点? 120年前の“会いに行けるアイドル”に熱狂――それを支えた交通手段の正体
いつの時代も、若い男性は若く美しい女性を目にしたいと思うもの。江戸時代のアイドルは芸者だったが、明治時代になるとさまざまな新らしいアイドルが生まれる。それら近代アイドルの誕生の背景には、交通機関の発展があった。
繁華街は芸者だらけに

人力車は芸者にも大きな影響を及ぼした。
芸者の服装というのは、徒歩による長距離の移動に適していない服装である。なので、江戸時代の芸者というのは、吉原などの花街から出ることなく、客の方が会いに行くアイドルであった。
明治時代になり人力車が登場すると、芸者が長距離を移動するようになる。芸者の方から客が待つ店に来てくれるようになったのである。女義太夫師と同様、芸者は会いに来てくれるアイドルとなったのだ。
芸者の行動範囲が広がることで、花街と繁華街の境界線は極めて曖昧になった。銀座、浅草、上野、どの繁華街も夜になると、人力車に乗って芸者が現れるようになった。
ところが新たなアイドルの登場によって、明治時代の二大アイドルの人気は下降線をたどる。その新アイドルとは、カフェーの女給であった。