「推し活」の原点? 120年前の“会いに行けるアイドル”に熱狂――それを支えた交通手段の正体

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いつの時代も、若い男性は若く美しい女性を目にしたいと思うもの。江戸時代のアイドルは芸者だったが、明治時代になるとさまざまな新らしいアイドルが生まれる。それら近代アイドルの誕生の背景には、交通機関の発展があった。

路面電車が生んだアイドルの多様化

浅草松竹座のレビュー。『大東京寫眞帖』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)
浅草松竹座のレビュー。『大東京寫眞帖』。国会図書館蔵(画像:近代食文化研究会)

 路面電車が生んだアイドルは女給だけではなかった。

 大正時代から隆盛した活動写真(映画)は、女優というアイドルを生んだ。外国映画「クレオパトラ」では、美人女優が刺激的な薄着であらわれ、女性の肌慣れしていない日本人男性を魅了した。

 第一次世界大戦により欧米の活動写真の供給が滞ると、浅草オペラが隆盛。刺激的な薄着のオペラ女優に、ペラゴロ(ファン集団)は「どーする!どーする!」と大声で合いの手を入れた。

 関東大震災後はレビューという軽演劇が浅草で流行。やはり刺激的な薄着の少女が舞い踊った。

 明治時代末以降、路面電車による集客力を基盤に、さまざまな「会いに行けるアイドル」が生み出されていったのである。

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