自動車だけじゃない! 日産・トヨタ・SUBARU・スズキが残した「住宅産業」への大きな影響とは
戦前期から住宅分野へ進出した日産
銀座にある中銀カプセルタワービルの解体工事が進められている。同ビルは建築家の黒川紀章さんが設計したことで知られ、奇抜なデザインは多くの目を引いた。世界各国で活躍した黒川さんは、その一方で2007(平成19)年の都知事選に立候補。選挙戦では、自らがデザインした選挙カーで都内各所を回っている。建築家という肩書は、どうしても建物などをデザインする職業だと思われがちだが、建築家がデザインするのは必ずしも建物とは限らない。近年の例で言えば、2019年に運行を開始した西武鉄道の新型特急Laview(ラビュー)は複数名のデザイナーが関わっているが、その中心になったのは建築家の妹島(せじま)和世さんだった。
黒川さんは自身の選挙で使用した選挙カーだけではなく、それ以前から自動車のデザインにも意欲を見せていた。自動車デザインに意欲的だったのは黒川さんだけではなく、建築評論家の川添登さんなどが早くからその関係性を指摘し、多くの建築家がチャレンジした分野でもある。
扱うモノが建物なのか自動車なのかの違いはあるものの、デザインという部分では共通しているので、建築家が自動車のデザインに取り組もうとする気持ちはなんとなく理解できる。
他方、自動車メーカーが住宅の開発・建設へと進出を図るケースも珍しくない。日本を代表する自動車メーカーの日産・トヨタ・スバル(旧・富士重工業)・スズキ(旧・鈴木自動車)などは、それぞれ事業展開が異なるものの、自動車の技術を生かして住宅生産にも進出、事業を拡大していった。
名だたる自動車メーカーの中でも、日産は戦前期から住宅生産の分野へと進出。日産の総帥・鮎川義介は1937(昭和12)年に設立された満洲重工業開発の初代総裁に就任している。
同社は満洲を開発する企業として設立されたが、大日本帝国が満洲を統治するための足がかかりとなり、実質的に国策の色合いが濃い事業を手がけている。満洲重工業開発の業務は幅広かったが、そのひとつに住宅建設もあった。